生沼義朗


御供平佶/線路ゆく人のつらなりガラスなき前窓に見て警笛鳴らす

御供平佶『車站』(短歌新聞社・1982年)
※表記は『御供平佶歌集 全四冊』(ながらみ書房・2017年)に拠る。


 

『車站』は御供平佶(みとも・へいきち)が38歳のときに出版した第2歌集である。歌集題の『車站』は、駅や停車場を意味する。

 

御供は、歌人としては「国民文学」に所属し、50年以上の長い歌歴を持つが、1962(昭和38)年から1987(昭和62)年まで25年間国鉄(現在のJR)に勤務し、列車の連結手を経て鉄道公安職員の職務に長年従事した。鉄道公安職員は、国鉄施設内の公安を維持するために配置された職員である。現在の鉄道警察隊の警察官の前身にあたり、警察官ではないが麻薬取締官や労働基準監督官などと同じく、特定の法律違反に関して捜査権や逮捕権が特別にあたえられている。

 

掲出歌は、1973(昭和48)年の首都圏国電暴動を描いた「怒号(国電暴動)」20首の16首目。時系列に沿って出来事がリアルに語られ、すぐれたドキュメントとしての側面も持つ一連である。この少し前から、国鉄職員労組の遵法闘争によりたびたびダイヤが混乱して電車の遅延を招いていたことから、4月24日に赤羽駅、上野駅、新宿駅など38の駅で同時多発的に暴動が起きた事件である。御供はこの時期、鉄道公安職員として安保闘争や国鉄労組の遵法闘争に混乱する駅頭の警備を主にしていた。事件の起きた日は、暴動の発端になった赤羽駅に詰めていたという。

 

初句二句の「線路ゆく人のつらなり」は、この背景を押さえておく必要がある。かなり特殊な状況で、暴動を起こした利用客が線路を走りはじめてしまう。「つらなり」だから、ひとりふたりではない。「前窓」は文字通り電車のフロントガラスだろうが、窓にはそもそもガラスがない。これも異様な光景である。ちなみに、暴動によって窓ガラスが割られていたのか、あらかじめ暴動に備えてガラスが外されていたのかは、他の歌を読んでもはっきりわからない。「警笛鳴らす」も普通の人はまずすることのない動作で、おそらく運転手の横に立って、警笛を鳴らしているのだろう。

 

 

警察の装備羨しむこゑごゑのタオルの首がむなしく寒し
探照燈消火器無線機肩に手に少数さむく橋梁に立つ

 

 

同じく『車站』の歌から、連続する2首を引いた。1979(昭和54)年の歌で、この時期は成田空港開港にともなう燃料輸送タンク列車の警備のため成田線沿線各地の警備についていたという。

 

「探照燈」はいわゆるサーチライトのこと。消火器や無線機とともに肩や手にかけ、警備のために橋梁に歩哨に立つ。しかしその人数は少数である。「警察の装備羨しむ」は、下句の「タオルの首がむなしく寒し」と呼応しているので、まずは服装などの装備面を指していると読むが、それだけでなく探照燈などのハード面や、配置人数や人材をも含めた「装備」を指していると読みたい。「むなしく寒し」は主観的な表現だが、この歌では三句の「こゑごゑ」に同調する内面を過不足なく言い表している。

 

どの歌も事実の特殊性が濃いことは否定しないが、それに寄りかかることなく、短歌表現に則った的確な描写と高い臨場感を作品に維持している。

 

短歌では、警察官や海上保安官、刑務官などのいわゆる公安職の歌はあまり見かけない。本当かどうかはわからないが、短歌を嗜んでいたある警察官が上司から創作活動を控えるように言われたという話も聞いたことがある。守秘義務などの理由はあるのだろうが、少々残念な話だ。元職の回想詠でもいいから、保安職の現場の歌を読みたいと願う。

 

国鉄には国鉄歌人会という団体があって御供も所属していたというから、警察などに比べれば自由度のある職場だったのかもしれない。御供は国鉄解体後は東京地方裁判所の廷吏として勤務したが、その職場に材を得た歌も多い。ここもまたその意味で恵まれた職場という気がする。