木下利玄/指尖(ゆびさき)の傷の痛みにひゞけつゝ市街(まち)の電車のきしるわびしさ 1

木下利玄第一歌集『銀』(1914年)


 

・指尖(ゆびさき)の傷の痛みにひゞけつゝ市街(まち)の電車のきしるわびしさ

 

神経が集中する指尖の傷の痛み。「ひゞけつつ」には、指尖がまるで痛みの避雷針のように外界を感受する鋭敏な皮膚感覚があり、読んでいると私の指まで痛みを感じてしまうほどだ。

 

ひとつの傷を通してのこの過敏さを、いかにも利玄らしいと思うのだが、私が注目するのは、これは利玄自身の傷ではないというところだ。

 

この今日の一首は「指の傷」という十首の連作の最後に置かれている。

 

「指の傷」

1   わがこゝろかきみだされて胸つまる君が小指の白き繃帶
2   より添へばヨードホルムのうす甘きにほひ皮膚(はだへ)に惱ましく沁む
3   可愛さのわれなやましむ君がせる指の繃帶白くかなしく
4   風觸れず指尖(ゆびさき)熱(あつ)き繃帶を君苦にしつゝ寢ねがてにする
5   なやましき夜の寢ざめに肉體を切に感ずる指の傷かな
6   指尖(ゆびさき)に身うちの熱のあつまりてうみ持つ傷の痛むあけ方
7   繃帶の白きもすこしよごれつゝ憎さもおぼゆ可愛さのはて
8   君泣けばかの繃帶のよごれめのいよゝ我を吸ひやまぬかな
9   強き日にさすパラソルの日陰(かげ)の柄を握れる指の白き繃帶
10  指尖(ゆびさき)の傷の痛みにひゞけつゝ市街(まち)の電車のきしるわびしさ

※7首目「憎」は旧字体、8首目「ゝ」は二文字の踊り字、9首目「強」は旧字体

 

まず、前半の五首から見ていきたい。

 

・わがこゝろかきみだされて胸つまる君が小指の白き繃帶

 

一首目、「君」というのは明治44年(1911年)に結婚した妻の照子であるだろう。その妻が指を怪我して包帯を巻いている。「わがこゝろかきみだされて」という心理をどのように読むか。もちろん、怪我をした妻を痛ましく思ってのことであるだろうが、けれども直接にかかるのは怪我そのものでなく「君が小指の白き繃帶」ということになる。「わがこころかきみだされて」というa音、o音の多い雑駁な調べから「むねつまる」と切迫し、「君が小指の白き繃帶」へと視線が一点に集められる。妻とはいえ、他人の指の傷への反応としてはやや過敏すぎるこの心理には、どこか官能性がにじむように思う。

 

・より添へばヨードホルムのうす甘きにほひ皮膚(はだへ)に惱ましく沁む

 

二首目では、より、切実に官能へと趣いている。ヨードホルムは、20世紀初頭には傷の消毒としてごく一般的に使われていた薬品である。君により添ってみると、そのヨードホルムの甘い匂いが皮膚にしみる。それが悩ましいと感じている。この皮膚は、果たして自分のものであろうか、君に寄りそうとき、匂いが、自分の皮膚にも沁みてくる、という。それとも、その匂いが君の皮膚に沁みていくのを傍にいながら感じているのだろうか。

 

・可愛さのわれなやましむ君がせる指の繃帶白くかなしく

 

三首目では、「可愛さの」と初句に置かれる。傷を持つ君が、傷を持つ君の指が、どうしようもなく可愛く思われている。この心理は、一首目から一貫されているだろう。

 

・風觸れず指尖(ゆびさき)熱(あつ)き繃帶を君苦にしつゝ寢ねがてにする

 

四首目では傷に苦しむ君の様子が詠われる。「熱き」というのは、本人からの申告であるのか、それとも利玄に想像されているのか、いずれにしても、心配や気遣い以上に、痛みを共有しているような感触がある。君は繃帶のうちに籠る熱に疼く指の傷に寝られないでいる。「寢ねがてに」は「いねがてに」と読み、寝られないことの古語である。そして寝られない君の横で利玄もまた寝られずにいるのだ。

 

・なやましき夜の寢ざめに肉體を切に感ずる指の傷かな

 

そして五首目。
これは、もう自分のこととして詠っているように読めてしまう。
もちろん、それほどに横にいる君の痛みをおもんばかっているということなのだろうけれど、夜、目が覚めてしまって、暗闇のなかで、指の傷が痛みを主張する、そのときの、「肉體を切に感ずる」という、それはもはや自分のことでもあるのである。

 

二人、という非常に密な、限定された関係性において、その一人が傷で苦しんでいるときの、その傷一点への意識が共有されていく特殊な心理状態がこの一連の主語の境界をだんだんに曖昧にしてゆくスリルがある。

つづく。