外塚喬/生(なま)蒸気がパイプを戻りくる音をとらへて午後のわが耳は鳴る

外塚喬『喬木』(短歌新聞社・1981年)
※『喬木』は砂子屋書房の現代短歌文庫39『外塚喬歌集』に全編収録されている。また、現代短歌社の第1歌集文庫で文庫化されている


 

外塚喬の第1歌集『喬木』には、10歳代後半から30歳代前半までの歌が収められている。

 

長い期間の作品ということもあるが、生活を丹念に詠み上げる作風も相俟って、『喬木』は仕事、家族、世相、旅行詠などの複数の要素が柱のように聳え、その柱が共鳴し合って作品が紡ぎ出されている印象がある。

 

 

防塵測定すべく真冬の屋上に煙突ばかり見てすごすなり
冷却塔の水かへてゐる屋上のわれ呼ぶは地下室よりの直通電話
たつたいま屋上にわが取り付けし風速計のよくまはるなり
直定規・雲形定規をつかひ分け仕上げてゆかむ計測図面
致死量をこゆる溶液をあつかふに強(し)ひられてする作業用手袋
生きもののごとくに油槽に流れこむ五千リッターの重油まばゆし
露にひかりてゐる芝草をふみながら夜(よ)の勤務なき職業を恋ふ
ボイラーを焚きつづけゐる間だけ人間に気を遣はずにすむ
事務机は現場の仕事すませきて手もちぶさたのときのみ使ふ

 

その中でもやはり仕事の歌に眼がゆくのは、仕事は生活の主軸だから数が多いというのもあるが、何といっても仕事の現場がありありと描かれているところである。しかもデスクワークではなく、いわゆる現業の空気に満ちているところを強調しておきたい。

 

外塚は日本電信電話公社(現・NTT)で電話交換機修理などの仕事をしていた。といっても冬期はビルの暖房設備であるボイラーの仕事もしていたようで、掲出歌の「生蒸気がパイプを戻りくる」は、そのことを指している。他の歌を見ても、防塵測定や冷却塔の水の交換、風速計の設置、あるいは計測図面の作成など業務が多岐に渉っていたことがわかる。夜勤を恒常的にしていたであろうこともわかる。

 

掲出歌を読んでゆくと、まず初句の「生蒸気」という耳慣れない語が強く印象に残る。おそらくボイラーから放出されたばかりの蒸気だろう。その生蒸気がパイプを戻ってくる音を聞いた。異常事態なのか、それとも何か次の工程を行うタイミングなのかはわからないが、とにかく作者にとって重要な音であることは想像に難くない。

 

その状況を受けた「わが耳は鳴る」は自身の感覚を主体に置いている表現だが、感覚と事物に対する反射神経のよさがよく発揮されていて、いかにも若い労働者の仕事の歌である。同時に、自身が実際に得た蒸気の熱さや物理的な痛さ、油やヒューズの焦げる匂いといった体感を大事にし、その体感およびそこから生まれた抒情に忠実に詠っているのは、外塚の短歌に対する姿勢そのものの現れと感じる。

 

「午後の」という場面設定もこの歌では重要で、昼休みを挟むことで午前中のようなテンションや緊張感は多少緩み、昼食の影響も加わってやや弛緩した空気が漂いはじめる微妙なニュアンスを描いている。同時に、掲出歌に限らず青年労働者の苦悩や憂いがどの歌にも張りついており、この点でも若い時分にしか詠めない歌と言える。

 

話は変わって最近の外塚の歌は極めて自在で円熟した印象があるが、例えばほぼ同年代の小池光などと比較してみると、小池が徹底的に事物にクローズアップして描くのに対し、外塚は一貫して感情を語り、そこから自身の人間性を問うところに表現の比重が置かれる。これは、短歌が叙情詩である意識の表れであり、また木俣修の衣鉢を継ぐ意志もあるだろう。例えば、

 

 

背のびして生くることなどできぬわれを無能といふか言ふならば言へ
優柔不断な男と見られゐることを百も二百も承知してゐる

 

 

といった歌は、現在の外塚の歌にも通じる内容と問いとトーンがある。その源流を第一歌集『喬木』に見るのである。