寺尾登志子「隧道」(「りとむ」2017年9月号)
サヤウナラ告げに来たのに斎場の入り口で不意に激しい雨に
童顔は真つ直ぐ前を見てゐたが笑ふ時だけ小首傾げた
「寺尾さんは僕より文章の先輩です」電話の向かうに君がゐたつけ
入れ替はり世の常なりとしたり顔してほざくなよ窓を背にして
六月の長い隧道抜けるとき雲ひとひらの光を返せ
掲出歌は「隧道」一連10首の9首目。一連すべてを引用しなかったが、他にも上記のような歌が見られる。萩原慎一郎の名前は入っていないが、2首目や3首目の意味内容および発表時期などを考えあわせると、少なくともここに挙げた歌はいずれも萩原への挽歌と考えて間違いないだろう。
掲出歌は、「わたくしと」と詠い起こすことでまず自分自身に引きつける。人間を認識し理解するのは人間だという認識が根底にある。故人をよく知っているつもりでいたが、それは本当にそうだったのかと相手が亡くなったときにあらためて考えることは誰しもあるだろう。「わたくしといふ現象を突き抜けて」の「突き抜け」たものは死であり亡くなった存在そのものだが、表現の奥に煩悶の実感と手触りを感じる。「わたくしといふ現象」も、自分も含めた誰もがいずれこの世を去るという認識に基づいたものだ。下句の「見えたつもりのあなたが見えぬ」にも認識が揺らぎ、問い直すさまが見て取れる。
立ち直る、気を取り直す、鬱いだら居直る、眠る、それだけのことを
同じ一連の8首目、つまり掲出歌の一首前の歌。訃報を受けた際の回復のプロセスを描く。萩原の訃報のときももちろん同じことをしただろうが、誰でも年を重ねれば接する訃報は増える。経験から得たプロセスに説得力があり、特に「鬱いだら居直る」と「眠る」には深く頷かされるものがあった。結句「それだけのことを」にも、プロセスを繰り返してきた人間の強さと他者の死への覚悟が滲んでいる。末尾を「を」とあえて言いさしにして八音にしたのももちろん意図的で、はみ出すような思念と抒情を醸し出している。
むこうでもどうせ歌詠んでんだろう? 涙ぐましいほどまっすぐな 塚田耕大
その歌の稚気(ちき)を妬んだこともある直接君に言わなかったが
豚丼を食うたびきみの丸顔が思いだされて困るじゃないか
同じ「りとむ」の2017(平成29)年9月号で見つけた歌。題が「萩原君六首・その他」なのでこれもまぎれもない挽歌である。
作者はまったく未知の人だが、歌を読む限り萩原の同世代もしくは少し上の世代かと想像する。三首とも言葉の表面だけをなぞれば憎まれ口にも見えるのだが、歌にこめられた感情は無論異なる。やや荒っぽく挑発的にも見える口調の奥に、故人を悼む気持ちが脈々と流れている。そこには若い死者に対する怒りと、シャイゆえに追悼の念を真正面からなかなか言いにくい作者像が浮かんでくる。もちろん、実際の作者像がどうかは関係ないことを申し添えておく。
まったく対照的な二人の挽歌だが、生前の萩原に会ったことのない自分にも人物像が立ち上がってくる。同時に、萩原が歌友から愛されていたことがひしひしと伝わる。両者とも印象的かつすぐれた挽歌である。