生沼義朗


大辻隆弘/東京を敵地とぞ思ひ来しことのあはあはとして中野梅雨寒

大辻隆弘『水廊』(砂子屋書房・1989年)
※『水廊』は砂子屋書房の現代短歌文庫48『大辻隆弘歌集』に全篇収録されている。


 

6月7日に関東地方も梅雨入りした。しばらくは鬱陶しい季節で、ここ数日肌寒い気候が続いているが、梅雨の時期になるといつも思い出すのがこの歌だ。大辻隆弘の第1歌集『水廊』の「敵地」一連10首の5首目である。

 

「東京を敵地」は表現として考えたときに過激とも言える。地方出身あるいは在住者の東京に対する敵意自体はことさら珍しくはないかもしれないが、やはり初句でいきなりこう言われたときのインパクトは大きい。

 

読み落としてはいけないのは、「思ひ来し」と過去形になっている点だ。つまり現在あるいは現在進行形の感情ではない。その感情を受けるのが下句の「あはあはとして」である。東京を敵地と思い続けてきたことを今ではもはや「あはあは」と感じているのはもちろんだが、6月の「梅雨寒」の時期特有の空気の色彩や質感とも呼応する。その意味で「あはあはとして」は上句と結句双方に掛かり、かつその二つを繋ぐ役割を果たしている。

 

「東京」すなわち中央対地方の図式にこの歌を安易に当てはめて読むべきではないが、都市としてあまりに巨大化してしまった様や中央集権ぶりなどを振りかえると、東京を「敵地」と見做す気持ちは東京出身の自分にも理解できなくはない。そのとき、結句の「中野梅雨寒」が読者にもあらためて実感され、梅雨時の肌寒さが身に沁みてくる。

 

「中野」は東京23区の西部、地理的には武蔵野台地の一角に位置する街である。もともとは住宅地的な性格が強かったが新宿や渋谷に比較的近く交通の利便性もよいため、最近は再開発も急速に進んでいる。中野(というより中野サンプラザ)は短歌関係のイベントなどでよく使われる場所で、おそらく実際の体験から来たものだろうが絶妙な選択である。霞ヶ関や丸の内や永田町では東京が持つ中央の象徴性が顕ち過ぎるし、新宿や渋谷や池袋でも猥雑さが勝ってしまい、「あはあは」の語が醸し出すイメージと合わなくなるからだ。

 

 

あさかげの今井美樹的東京を数度(すたび)おとなひ数たび憎みき

 

 

掲出歌の一首前の歌。この歌も東京を「敵地」と捉えており、作者の感情は通底している。「あさかげ」はこの歌では文字通り朝日の光を指し、夜行などで明け方に東京を訪れたとも、一泊した朝の景色とも読める。「あさかげの」は枕詞ではないが、初句に置くことで枕詞のような効果が出ていることにも注目したい。

 

「今井美樹」は近年は歌手活動が中心だが、もともとモデル出身の女優で歌手活動も並行して行うスタンスだった。当時は20歳代半ば。若々しい上にスタイリッシュかつきらきらしい印象で同年代女性の憧れの存在であり、そこに作者の持つ「東京」像が重なる。もちろんここにはバブル期の「東京」のイメージも含まれている。その意味で「今井美樹」の選択は絶妙である。今では中野にも高層ビルが増えたが、当時は中野サンプラザくらいしかなかったはずで、新宿の高層ビル群はよく見えたはずである。その高層ビルのシルエットにも今井美樹のイメージが重なってくる。

 

「数度おとなひ数たび憎みき」も率直な表現で、何度か訪れた東京をそのたびに憎んだという意味内容が文語の口調で噛みしめるように詠われる。この歌でも重要なのは「憎みき」と過去形になっている点で、やはり詠われている感情は過去のものである。

 

人間はいつまでも過去にとらわれているわけにもいかない。過去の記憶や負の感情と訣別するために一首をものすことも当然ある。それこそが青春詠の役割と意義だとも言え、「中野梅雨寒」のリアルな手触りや、「あさかげの今井美樹的東京」のきらきらしく美しい措辞が作者の負の感情と相俟って、先に挙げた2首が読者の心に長く刻まれるのだ。