藤原道長/この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

藤原道長(1018年作『小右記』)


 

たぶん多くの人がこの歌を暗誦しているのではないだろうか。少なくとも一度は学校で暗誦させられた。それも、古典の授業ではなく歴史の授業で。平安中期の藤原家による摂関政治がいかに栄華を極めたかということの証左として、覚えさせられた。テストにも出たのである。そして私はいつもこの歌で点を稼いだのだった。

 

それにしても藤原道長に限らず、時代の栄華を誇った人は、平清盛、頼朝、信長、秀吉、家康などなどいくらでもいて、彼らにしても有名な辞世の句を残していたり、歴史上の人物が人生の大事な場面で歌を詠んでいるケースはけっこうあるのに、こんなふうに歌を証拠品みたいにして覚えさせられた人は道長の他にいない。そのことに思い当たったとき、どうにも可笑しくて、文科省はなんのつもりでこの歌を教科書に残したのか、そのことが歴史のバグにしか見えなくなった。

 

もともと私はこの歌がお気に入りで「このよをば、わがよとぞおもふ、もちづきの」と頭に思い浮かべては、ほくそ笑んでいる。和歌や短歌でこんなにご満悦な歌って他にない。日本人の歴史観にしても、いつも負けた方や追いやられたほうに心寄せして、みんな涙するわけでしょ。だからこの歌はぜんぜん日本人好みじゃない。さらに言えば、季節の推移や自然の営為をこそ尊重しもののあわれを見出す和歌の情緒に対しては暴力的ですらある。何しろ、「この世をばわが世とぞ思ふ」という、われの全能感が、「望月の欠けたることもなしと思へば」という自然界の摂理を捻じ曲げているのだ。月は満ち欠けするから、はかない情緒があるのであり、潮は寄せては返すから、もののあわれをもよおす。こうした繊細な和歌の趣に反した「欠けたことのない月」に詩情はなく、極めて無作法な暴君的な歌なのである。評価される類の歌ではそもそもないのだ。だからこの歌は勅撰和歌集はおろか、道長自身のその夜の日記にも記されていない。この歌は、もともと道長が娘、威子を後一条天皇の后にすることでその全盛期を確固たるものとしたその結婚式の夜の宴で座興として詠まれたもので、それが一千年も後の教科書にまで載ることになってしまったのは、傍に居合わせた当時の官僚、藤原実資が日記『小右記』に書き残していたからなので、つまり、出典として冒頭にあげている『小右記』は人様の日記なのだ。ちなみにこの日記は全体としては道長に批判的なものでもあるようで、そういう日記に記された歌がどういう因果か、一千年後の教室でみんなが口を揃えて丸暗記している。馬鹿みたいな話なのである。だけど、面白いのは、この宴の場面。道長は、この時、歌を詠むことを自ら提案し、即興だとしてこの歌を披露した。返歌を要求された実資は、これを遠慮し、代わりに、道長の歌が素晴らしいからみなで声に出して詠もうと言って、みんなで「このよをば~」と詠ったんだそうである。なんか、呪縛ではないけども、この時からこの歌の運命は決まっていたのかもしれない。

 

ともかくも、この歌は暗唱のしやすさで言えば天下一品ということができると思う。
「この世をば」からはじまり「思へば」というふうに順接の「ば」で強引に理が貫かれているので、いっぺん覚えれば、忘れられない。さらに、「この世をば」、「わが世とぞ思ふ」「もちづきの」というふうに一句一句、腹の底から声が出ているというか、一語一語噛みしめるような満足感がたっぷりとした道長の腹回りの肉さえ感じさせて、別に何の栄華も極めていない私にしても暗誦するだけでご満悦な気分を味わえる有難い歌なのである。