伊藤香世子「銀座で展示」(「歌壇」2019年7月号)
掲出歌は短歌総合誌「歌壇」最新号の作品7首欄で見つけたもの。作者の伊藤香世子は「鮒」に所属している。
自分が子供の頃、たしかに食卓に味の素やアジシオが置かれていた記憶がある。「味の素」は、1908(明治41)年に東京帝国大学教授の池田菊苗が昆布のうまみ成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見し、味の素の2代目鈴木三郎助が工業化に成功したものである。今では味の素は化学調味料の代名詞と言っていいほど知られ普及している。
「味の素で頭が良くなる」説は知らなかったので調べてみたら、ある医師が著書の中で「味の素を継続的に摂取すると頭が良くなる」という主張をしたことにより、1960年代に味の素は頭を良くするという噂が広まったらしく、おかずや味噌汁だけでなく白いご飯や醤油にまで味の素を振る人もいたようだ。掲出歌を読む際にはこうした過去の事実を踏まえておく必要がある。作者の年齢がいくつかは歌からはわからないが、1960年代に生徒もしくは学生だったと想像できる。初句二句の「頭良くなると信じて」には古きよき時代の長閑さと、頭がよくなることについて祈りにも似た一種の切実さが漂う。
「食卓の」はさりげない状況説明の言葉だが、家族の食事風景をストレートに連想させ、一首の雰囲気を醸し出す。「味の素振り」も味の素の壜のフォルムを自然に想起させる。その意味で簡にして要を得た表現で、同時にいかに味の素が世間に浸透していたかもうかがわせる。
そして「振りし」の過去形と、結句の「昭和の生まれ」に、時代が進むにつれて化学調味料を悪とするムードが広まり、だんだん使われなくなっていった時代背景も滲む。少なくとも自分の家や実家には味の素の壜はもうない。「昭和の生まれ」には回顧に加え、味の素で頭が良くなると信じていた自分に対する一種の自嘲と、昭和という古き良き時代を懐かしむ気持ちが交錯している。そのほのぼのとした昭和の空気を、味の素という身近な題材と具体的な経験を基にありありと描いたところが、掲出歌がひときわ印象に残った理由である。
ちなみに、味の素の主成分のグルタミン酸ナトリウムは神経系には効果を及ぼすらしいが、脳への影響はないとのことである。つまり味の素を摂取したから頭が良くなる、あるいは摂取しすぎたからかえって脳に毒などの影響は一切ないということだ。味の素のホームページのQ&Aのコーナーでも、「「味の素」を食べると頭がよくなるって、本当ですか?」という問いに対して「そのようなことはありません」と明快に断言している。