生沼 義朗


森ひなこ/鳥籠の骨のやうなる条約に守られわれら気味悪く生く

森ひなこ『夏歌ふ者』(現代短歌社・2019年)


 

 

最近出たばかりの歌集『夏歌ふ者』は強く印象に残った一冊である。

 

著者の森ひなこは1946(昭和21)年広島県東広島市生まれ、2011(平成23)年に「真樹」に入会して作歌を始めている。森の年齢と広島出身であることは歌集を読むにあたって押さえておく必要がある。

 

 

漂白のシーツに包まれ運ばれる 因数分解されるかわれは
シンボルのごとく置かるる顕微鏡「取扱注意」の紙が光れり
希少癌見つけてああと声をだす今日初めての発語のやうな
真夜中の夢の中にて聞く電話夢より覚めて聴く「ゼクチオン」
人気のない廊下を歩みゆく音が背を押しくるる「北限」なりと

 

 

歌集は3部構成で、Ⅰの特徴は山本光珠の跋文や松村正直、大松達知、佐伯裕子による栞文でも触れられている通り、細胞検査士として病院の病理部に勤務していた時期の回想詠が中心となっている。細胞検査士とは聞き慣れない職種だが、がん細胞の有無を顕微鏡で一次的に調べる仕事で、日本臨床細胞学会が認定している資格らしい。臨床検査技師か衛生検査技師でないとなれないようだ。

 

Ⅰは最初の一連で、倒れて救急搬送された作者が過去の病院での勤務を思い出し、次の一連から病院勤務の回想詠が綴られる凝った構成になっている。仕事の歌はどの歌にも臨場感があり引きこまれるが、一方で冷静というか客観的な描写がかなりのところまで確保されているのは、回想の歌という性格もあるかもしれない。さらに母親の死や自身の病気も語られ、仕事以外の要素を取りこみつつ、結局は仕事をしないと生活が成り立たないという意味であらゆる要素が仕事に帰結する。そうした原理を包括した複合的な仕事の歌に読み応えがあった。時系列的にもまた作者の紹介という意味でも、巻頭に置かれた効果は大きい。

 

 

去年(こぞ)着たる半袖シャツのポケットから出てきたやうな八月六日
オバマ氏の折りたる鶴をまだ見ない外来新種のにほひしさうで
広島は通過するだけの町と言ふ友よここにて祈り捧げよ

 

 

Ⅱは出身地広島と原爆を捉えた歌で成り立っている。どの歌も原爆に対する率直な怒りを滲ませつつ、自身は直接被爆していないものの、幼い頃から見聞きしたことや長じて他の土地で生活するなかで自身の原体験と比較したことなどを物差しに対象に冷静に向きあう。声高な主張や過度な自己肯定に陥らない点も重要な資質である。

 

掲出歌はⅡに収められたもの。「条約」は核兵器禁止条約だろう。核兵器の全面廃止と根絶を謳った国際条約で2017(平成29)年に採択されたが、現在条約に批准しているのは94カ国に過ぎず、日本やアメリカも批准していない。そうした制度の不完全さや、人間が取り決めたルールを破るのも結局は人間だという一種の諦めが上句によく出ている。特に「鳥籠の骨のやうなる条約」という直喩の切れ味が鋭い。それでもその「条約に守られ」ながら「気味悪く」日々を生きていくしかないのだ。不快感と冷静さが絶妙に釣り合った一首である。

 

 

吹雪くなか無言で歩むさみしさよアルミホイルの芯は空洞
柏手(かしはで)をうてば頭上をからからと神の声にや虚空の音する
チョコレートの銀紙ひとつ床に落ち二月の光勢ひゆくなり
まだだれのものでもないと丸められトルソーのごとき来年用カレンダー

 

 

Ⅲは日常に取材したいわゆる雑詠的な歌が多いが、佳歌も多かった。1首目は上句の実景が下句の認識を引き出したのだろうが、吹雪のなかを何も話さずに歩んでゆくさみしさから、アルミホイルが巻かれている芯が空洞であることへの連想は出そうで出ない。2首目も神社に詣でた際に打った柏手を打った音を「からから」と捉える感覚も非凡だが、それを「神の声」ではなく「虚空の音」と認識するところに常識を疑う姿勢が現れており、紛れもなく詩歌に必要な要素のひとつである。3首目も上句の情景を受けての下句「二月の光勢ひゆくなり」が読者の意表を突き、日常に詩を見いだす能力の高さを感じる。「二月の」の場面設定も「チョコレートの銀紙」と効果的に響き合う。4首目もよく対象を見ているだけでなく、対象が置かれている状況をもよく把握している。カレンダーはもちろん前年の暮れ頃に配られたり買ったりするものだが、年が明けるまでは「まだだれのものでもない」のだ。ゆえに「丸められ」、「トルソーのごとき」だからどこかに立てかけてあるか箱に差してあるのだろう。

 

どうしてもⅠの仕事の歌やⅡの原爆の歌に読者の眼は向きがちだ。それを否定することは自分にはできないけれど、Ⅲを読むうちに、物を見聞きして感情を持つのも人間なら、そこを通して考えるのも人間だとあらためて気づかされた。そしてふたたびⅠとⅡを読むと、あらためて一首一首に沈潜しているひかりや思考に気がつき、立ち止まらされる。その気づきと時間こそが、この歌集を読む収穫なのではないかとさえ思えるのだ。