生沼義朗


島尾ミホ/月読(つきよみ)の蒼(あを)き光もまもりませ加那(かな)征(ゆ)き給(たま)ふ海原(うなばら)の果て

島尾敏雄『幼年記―島尾敏雄初期作品集』(徳間書店・1967年)
※表記は『昭和萬葉集』巻六(講談社・1979年)に拠る


 

前回に引き続き、『昭和萬葉集』巻六(昭和16年~20年)の歌に触れる。

 

島尾ミホは作家・島尾敏雄の妻であり、島尾の代表作『死の棘』の「妻」のモデルとしてよく知られているが、自身にも小説『海辺の生と死』などの著作がある。また歌人としても「ポトナム」に所属していたことがあったようだ。

 

『死の棘』は戦時の極限状態下に結ばれた夫婦が、妻の精神の失調などの破綻の危機を乗り越えて絆を取り戻そうとする過程を情感豊かに描いた私小説で、読売文学賞を受賞するなど高い評価を受けた。ちなみに1990(平成2)年に小栗康平監督で映画化された際は、ミホ(妻)を松坂慶子が、トシオ(夫)を岸部一徳が演じ、カンヌ国際映画祭で第2位にあたる審査員グランプリを受賞している。

 

『昭和萬葉集』巻六に島尾ミホの歌は3首収載されており、掲出歌はその1首目である。「月読」は日本神話における月を神格化した夜を統べる神だが、この場合は月に対する敬称と読んで問題ないだろう。「加那」は奄美の方言で、恋人や愛する人を指す。したがって、君が行かれる海の果てまで月の蒼い光も守って下さいますようにとの歌意となる。

 

島尾敏雄は戦時中は大日本帝国海軍大尉であり、爆薬を搭載したベニヤ板製小型モーターボートで敵艦に突撃する第18震洋隊の隊長として、1944(昭和19)年に加計呂麻島に赴任した。そこでミホと知り合って戦後に結婚している。この歌を読むにはそうした背景を押さえておく必要がある。

 

 

わが想ふ人も恋ふらめ山の上(へ)の明けなむとする薔薇光(ばらかげ)のそら
たのむとぞ特攻艇(みふね)の舷(ふなばた)うちたたき胸張り給ふ御姿念(おも)ほゆ

 

 

他に収載されているのはこの2首で、いずれも歌の題材や背景は共通する。1首目は君への想いが「薔薇光のそら」というあざやかな措辞と魅力的に呼応している。2首目は「特攻艇」に振られた「みふね」のルビが時代背景を窺わせると同時に哀しささえあるが、「胸張り給ふ御姿念ほゆ」に尊敬の念が率直に滲む。既に敗色の濃い時代だったが、本土決戦を前にして軍人は大切に扱われていた時代背景を思わせる。ちなみに、ミホは後年に至るまで、隊長時代の敏雄の海軍の白い正装姿の写真を大切に自室に掲げていたという。そして敗色濃厚な時期に頼むぞと船の側面をうちたたいている軍人の姿に途方もない切なさを感じて止まない。

 

結局、敏雄は1945(昭和20)年8月13日に特攻戦が発動されて出撃命令を受けたものの、発進の号令を受けないまま即時待機状態で終戦を迎えているので、今回挙げた3首は位相としてはどちらかというと想像に基づく祈りの歌と言える。しかしそこに大きなリアリティを受け取るのは、映像が端的に浮かぶ描写の確かさはもちろん、歌に湛えられている愛する相手への深い祈りに他ならない。そして戦争の悲劇性はいうまでもなく、そうした要素が一気に読者の心を揺さぶるのである。

 

『昭和萬葉集』は講談社の創立70周年記念事業の一環として組まれた大プロジェクトで、1926(昭和元)年から1975(昭和50)年の間に作成された短歌が、全20巻に有名無名を問わず数多く収められている。巻六だけ見ても著名人としては前回名を挙げた人達に加えて伊東静雄、臼井大翼、尾崎咢堂、河上肇、倉田百三、栗林忠道、杉本苑子、高村光太郎、土井晩翠、徳川夢声、堀口大学、水上勉、室生犀星、湯川秀樹、横光利一らの作品が見られる。もちろん釈迢空や斎藤茂吉、北原白秋をはじめとする当時を代表する歌人の歌も多く入っているが、何より特徴的なのは一般作者の収載歌は公募で集められ、20巻合計で5万人から48万首が寄せられたことだ。いかに詩歌がいわゆる教養として広く敷衍していたかを思わせられる。

 

今、例えば『平成萬葉集』のような企画が可能だろうか。仮に可能でも、性格は異なるものになるような気がしてならない。かつて『万葉集』が明治以降の国民意識の形成に利用されたごときことは決して繰り返されるべきではないし、その危険性は重々念頭に置く必要はあるが、広く歌をひいては声を集めることの意味をあらためて考えながら、『昭和萬葉集』を読み返していた。