生沼義朗


宮原望子/ぬ ぬぬぬ ぬぬぬぬぬぬぬ 蜚蠊(ごきぶり)は少しためらひ過(よぎ)りゆきたり

宮原望子『これやこの』(本阿弥書店・1996年)


 

今回も暑いなかで頭に浮かんだ歌について述べることにする。

 

宮原望子(みやはら・もちこ)は1933(昭和8)年鹿児島県生まれ。「未来」および「梁」に参加。歌集は今までに『輪唱』『文身(tattoo)』など4冊が出ており、『これやこの』は第3歌集である。他に『おばさんの茂吉論』というエッセイ集も刊行されている。

 

掲出歌は、ゴキブリを詠んだ歌として屈指の歌で、最初に読んでからおそらく20年以上は経つが、いまだに忘れ得ぬ一首だ。理由は、異様といってもいい歌のフォルムと文体にまず起因する。初句二句をひらがな表記の「ぬ」だけで占めるのは蛮勇とも破格とも言える。なかなかできることではない。「ぬ」は、油虫とも呼ばれるように独特の光沢を持つゴキブリの体表をまず視覚的に表現している。また韻律的にも、「ぬ」というN音の持つややもっちゃりとした音感がゴキブリのぬめるような容姿や動きを想起させる効果を持っている。

 

ゴキブリを見かけてしまったとき、思わず動作や思考がほんのわずかながら止まってしまうことは誰にでもあり得る。そのときに、錯覚かもしれないが一瞬ゴキブリと眼が合った気がした。最初の「ぬ」はそうした間合いを感じさせる。続く「ぬぬぬ」には、一瞬ののちに物陰に逃げようとするゴキブリの初動の動きが見えてくる。一字空けももちろん意味があって、一瞬の時間経過とゴキブリの位置の移動を同時に表現している。畳みかけられるように重ねられる「ぬぬぬぬぬぬぬ」は、本格的(?)に視界の外に逃げてゆくゴキブリの動きを思わせる。ゴキブリは昆虫のなかでも脚が発達しているため、走るのが速い。その初動からの動きを見事に描いている。11個の「ぬ」と2箇所の一字空けだけでここまで表現できることにあらためて驚く。

 

三句以下も「蜚蠊は少しためらひ過りゆきたり」と、見たままを簡潔に過不足なく描く。「少しためらひ」は作者の主観である。普通主観は歌のデッサンの精度を鈍らせるため、なるべく入れない方がいいと言われる。しかしこの歌の「少しためらひ」は人間くささを感じさせ、今までに蓄積された人間のゴキブリに対するイメージにも被さってくる。ここで斎藤茂吉の有名な歌のひとつである、

 

ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りて行きたり  『暁紅』

 

を思い出した。もちろん宮原の歌の「少しためらひ」と茂吉の歌の「少しためらひ」では、片や生物でありもう片方は非生物という意味で位相が異なるが、作者がある対象を定点観測的に見つめる構図では相通じるものがあるし、歌に得難い深い味わいがあることも共通する。何より、ゴキブリもトラックも人間でないのに、歌のなかのゴキブリやトラックには感情や含羞のようなものが仄見える点を見逃してはならない。

 

茂吉の歌が詠まれた頃のトラックやガレージが珍しいものであったことは押さえておく必要がある。しかしどちらの歌も、歌にならない題材はないことや、嘱目の対象もなかなか気がつかないだけでどこにでも潜んでいることにあらためて気づかされる。そして表記や韻律面でもいくらでも工夫の余地がある。そうした多くの示唆を含む掲出歌はやはり特筆に値する歌だと思うのである。