米川千嘉子第九歌集『牡丹の伯母(ぼうたんのをば)』(2018年・砂子屋書房)
今年は台風の甚大な被害があとを絶たない。2011年の東日本大震災以降、紀伊半島豪雨(2011年)、昨年近畿を襲った台風21号のような台風災害は確実に増え続けているし、熊本地震、北海道胆振東部地震、噴火や竜巻といった自然災害が次第に常態化しつつあるようにも思う。地震や竜巻はどうにもならないにしても水害については、古くからこの列島が悩まされ対策してきた災害であって、近年では堤防や治水工事、ダムの建設、護岸整備などによってずいぶん克服されてきていたはずなのに、ここに来てどこもかしこも危険に晒されている。
2015年の関東・東北豪雨では常総市が広範囲にわたって水没した。米川千嘉子歌集『牡丹の伯母』の「防災無線」という23首の一連ではこの豪雨被害が詠われている。米川が当時住んでいたのは隣接するつくば市であり、一連は「東日本豪雨による鬼怒川氾濫から二ヶ月」という詞書の付された〈常総線全面復旧秋晴れを一両編成気動車でゆく〉という歌からはじまる。
口を開け喉まで見ゆるがらんどう乾かぬ家並(やな)み車窓につづく
この歌にはショックを越えた鬱然とした重さがある。農家の平屋建てのような建物であろうか。人様の家というのは、ふだんはドアや壁によってその奥にあるプライバシーを外から隔てているものであるのに、いまは「口を開け喉まで見ゆる」こと。「乾かぬ家並み」とあるから、おそらくは風を通すためにがらんどうにして開け放っているのだろう。それが二ヶ月後の光景であり、秋晴れの空の下になおさら「喉まで見ゆる」ことの異常さが痛感させられる。その光景は「車窓につづく」とあるのだ。
堤防決壊の日、わが家と道を挟んだ住宅地には避難勧告。(※詞書)
防災無線豪雨のなかに音にごり耳とほき母の孤独おもへり
防災無線は米川さんの近隣でも流されていたのだ。私も家にいるとき何度かこうした防災無線を耳にしたことがあるけれど、そういう場合は凄まじい豪雨が降っているのだから、実をいうと何を言っているのかちゃんと聞き取れたためしがない。「豪雨のなかに音にごり」というのはまさにそのときの音声の感じを思い起こさせる。そのとき作者は「耳とほき母の孤独」に思い至ったのだ。自分でさえよく聞き取れない音をましてや耳の遠い母が聞こえるわけはなく、それはすなわち、豪雨のなかにその母をたった一人取り残すことを意味するのだ。体験のうちにはじめて理解される事実というものがある。想定というような机上の空論ではなくて、もっと直感的な事実把握であり、「津波てんでんこ」など、それはおそらく行政から発信される避難勧告に増して重要な人間の叡智であるはずのもので、そして、いま現在多くの人が様々な災害に直面しながら感じ取っているものであるはずで、この歌ではそのようなリアルな危機意識が歌人の言葉を通して書きとどめられているのだ。