生沼 義朗


小川太郎/五行削れといわれ結局削りしはやはり個人的思い入れ部分

小川太郎『出版人の萬葉集』(日本エディタースクール出版部・1996年)


 

『出版人の萬葉集』は、東京の神田三崎町にある編集者、ライター、校正者などを養成する学校である日本エディタースクールの創立30周年記念事業のひとつとして企画されたアンソロジーである。編集委員は川島喜代詩、来嶋靖生、佐佐木幸綱、篠弘、高野公彦、馬場あき子の6名。部立ては「企画・編集会議」「原稿依頼・督促」「執筆」「造本」「校正・出張校正」「印刷・製本・資材」など出版の工程に沿ったものに加え、「経営」「組合」「通勤」など業務にまつわるもの、さらに「書店」「図書館」など出版の周縁まで広くおよぶ。

 

作者の小川太郎は1942(昭和17)年東京都新宿区生まれ。1966(昭和41)年に小学館に入社し、週刊誌の編集に従事。1995(平成7)年の退職後はフリーライターとして活動した。高校時代に寺山修司の作品に接し作歌をはじめ、早稲田大学在学中の1962(昭和37)年に早稲田短歌会に入会。就職後は一時作歌から離れたが、1988(昭和63)年に「月光」創刊に参加した際に作歌を再開し、田島邦彦の同人誌「開放区」にも精力的に執筆した。2001(平成13)年8月に自裁。享年59。

 

歌集に『路地裏の怪人』があるが、代表作は『聞かせてよ愛の言葉を―ドキュメント中城ふみ子』(1995・本阿弥書店)、『寺山修司―その知られざる青春』(1997・三一書房)、『血と雨の墓標 評伝岸上大作』(1999・姫路文学館)の歌人評伝3部作である。歌人の評伝は残された短歌作品や文献からたどってゆくものも多いが、小川は対象にゆかりのある地を訪れ、関係者にも話を聞いて理解を深めるルポルタージュの方法を積極的に取り入れた。

 

掲出歌は「編集・原稿整理」の項目に収められているもの。この項目に収められている小川の歌はこの作品のみなので、どのような文章を書いていたのかははっきりしない。背景によって歌のニュアンスが微妙に変わる可能性はあるが、意味内容ははっきりしていて、編集者か上司から5行を削れと指示されてあれこれと悩んだが結局は個人的な思い入れを込めた部分を削ったということだ。「結局」にある程度以上の時間や思考の逡巡があったことが窺え、個人的な思い入れがあるから忸怩たる思いはあるが、「やはり」にこれはやむを得ないという客観的な判断も滲む。

 

 

古い記事のなかにわれいて一行に込めし思いが甦(かえ)る切なく

 

 

何らかの理由で自分の書いた昔の記事を読み返すなかに〈われ〉が垣間見える。そこに気がつくとき、一気に過去の記憶を思い出す。当然いい思い出ばかりではない。むしろ苦い思いの方が多いだろう。記事を読んでゆくなかでとりわけ思いを込めた1行に立ち止まった。「切なく」が直截で、それゆえに抒情があますところなく灯される。「甦る切なく」と倒置にしたところも屈託が滲んでいる。仕事の光景を詠みつつ、歌のすみずみにまで抒情が漂う。しかし感情に偏ったり溺れたりすることはない。どちらの歌も一見主観や感情に主眼を置いた表現のように見えるが、現在と過去、公と私といった要素までが含まれている。仕事が人生においてどのくらいの比重や位置づけであるかを充分認識しているからに他ならない。