吉田 隼人


むきだしのそんざいならぬもののなき炎昼をつりがねの撞かるる

渡辺松男『きなげつの魚』(角川学芸出版:2014年)

 

書評を頼まれて『きなげつの魚』を読んでからスランプに陥った。たぶん今も立ち直れていない。一言で言えば、ここには「本物」があると思い知らされてしまったからだ。自分のつくる歌が「まがいもの」であることは充分に自覚しているつもりだったが、とにかく打ちのめされてしまったのだった。同じようにひらがなを多用した連作をまとめた頃で、それなりに自分の到達点のようなものを感じていただけに、本物──「むきだしのそんざい」──の衝撃に耐えられなかったのかも知れない。

木にひかりさしたればかげうまれたりかげうまれ木はそんざいをます 『蝶』

剥き出しの「存在」に耐えかねてマロニエの根元でアントワーヌ・ロカンタンが襲われたような嘔吐感はここにはない。いかなる本質にも先立つ「存在」の耐えがたい軽さはここにはなく、むしろ本質などという人間の賢しらからいくらか解き放たれて、ここで万物はいよいよ各々の存在にむけて充足しきっていくようである。