深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり

堀口大学(昭和42年歌会始)

 生物学者でもある昭和天皇をいたく喜ばせたが、象徴的な天皇批判ではないかともいわれる一首。存在そのものが「象徴」になってしまった天皇を、これまた象徴(というよりはアレゴリーか)で批判しているのだとすれば、その遠回しさそのものが何より「天皇的なもの」「皇室的なもの」のようにも感じられて面白い。

 一首の最後が「とあり」なのが、そうした諫言めいた読みを誘う大きな原因になっている原因だと思うが、天皇あれこれを離れてもこの「とあり」は不思議な読後感を残す。一首のほとんどを暗闇に棲まう深海魚の描写にあてていながら、最後の最後になにかの本で読んだ知識をそのまま語っているだけだとわかって、一気に梯子を外されるような感覚に襲われる。グロテスクな深海魚に寄せる愛とか共感をついつい期待してしまう性分なもので、そのあたりが一気にないがしろにされ、一抹の寂しさが急にやってくる。眼をも必要としないほどの海底の闇のなかで、なにか別の感覚器官を発達させ、地上の生物とはだいぶ異なった姿で一生を終える深海魚のほうが、人間よりもゆかしい存在に思われてしまうので。