前の前をゆくひとがさしているものの架空の植物の柄の傘 

               内山晶太 『外出』  2019年

雨が降っていて人の動きが滞っている。 街上の人は結構おおい様子。その流れの中にいて、ゆっくりと動いているのだろうか。傘を差している人に囲まれて、外にいるのにどうしようもない閉塞感がある。そんなとき、開放的な空間なら気にもかけないことが目に留まり、そこに集中してしまう。

ここでは、前の前をゆく人の傘に注意が向く。さらに突き詰めてその傘の柄に関心が逢着する。その柄はどうやら植物のようだが、どうみてもリアルに実在する植物ではなさそう。おそらくはデザイナーが創作して描き出した植物の柄であろう。つまり架空の植物なのか。と、ここまで作者の思考の流れを追ってみた。
追ったからといって、作者が言いたいことが解明できたわけではない。おそらく、この歌には伝えようとする意味など、そもそもないのかもしれない。
ただ、動かしようがなく実在する異様な感じがある。それは、〈もの〉そのもの。そしてそれを凝視している背後にある意識そのもの。それが読後に突出した異和をともなって現出している。
そのために、この歌が現実の表層から思いがけなく逸脱したような異物感を読む者にあたえている。ありのままなのにシュールな感じは傘の柄という細部をことさらに拡大しているところから編み出されているのだろう。

得体のしれない、生々しい存在感が「ひとがさしているものの」という念をおしたフレーズから噴き出しているように思えてならない。意味の終わったところから彫り込んで内面性にとどくような描写力に強く引き込まれた。