笹川諒 『ぱんたれい』vol.1 2019年
この歌とは、ある歌会で出会った。惹かれるものがあったが、過剰さが難解な印象を作っている気がしてその時は取れなかった。しかし、会が終わってからもフレーズの美しさが心に響いていて忘れられない歌だった。
なんども咀嚼しているうちに、それほど難解な歌ではない気がしてきた。繰り出される異質な言葉がハレーションを起こして、うまく像が結べなかったということか。
硝子はもともと鉱物だから、森で生まれたのかもしれない。だけどそこから取り出されてしまうと素朴な原石から異質なモノに変容してしまう。磨かれて輝きを秘めた分、硬質で孤独な存在に変わった。始まりの混沌を失い、明晰になってしまった硝子は拠り所である原郷にもどれない。そのことを硝子がさみしがっていると読むのが普通かもしれないけど、森が硝子を失ったことを寂しがっているとも読める。硝子も森も、下句に登場する二人の不安定な関係の喩かと思う。
二人のあいだにはまだ距離感があり、それがさみしさと感受されている。会話するとき、あなたはわたしに敬語を使ってしまう。敬語をつかう意識は相手との距離感をそのまま晒してしまうから、動揺する心情が零れて語尾が揺れている。それ知りながらなすすべもなく、私は会話をつづけるしかない。
互いに相手を求めながら、なにかを怖れ、あるいは傷つけたくなくて、近づくことができない。むしろ離れていることで、たがいの思慕のありかを確かめ合っているような切なさがこの歌の核心であろう。
それにしても選び取られている言葉に美しい抽象性があり、現実から遊離してゆくような詩的世界が構築されている。上句だけでも別の物語を秘めているような豊かさがある。異質な言葉をぶつけて、幻想性が生まれている。そして敬語、語尾といった漢字を配することでただ甘くは流れないレトリックがかえって鮮烈な詩情を印象づけている。美意識と情感と技巧のバランスが絶妙。微光のような過剰さは美をひきだすひとつの道かもしれない。