ひたぶるに夜半のくらきに白蛾とぶその重き夜に堪へてゐたりき 

太田一郎『墳』(思潮社:1966年)

 旧制高校というものに十代の頃からひどく憧れがあって、たまたま恩師から譲り受けたこの歌集もそういう意味で大事にしているところがある。本職の歌人にはならなかった人たちで一高(のち東大)の遠藤麟一朗、都立高校(のち都立大)の椿實、浦和高校(のち埼玉大)の小野田秀夫と西野昇治など、旧制高校にまつわる本で、高等学校からこれも旧制の帝国大学時代にかけて詠まれた歌にいずれも惹かれており、いずれこの人たちの作品もそれぞれこの欄で紹介していくが、まずは歌人であるところのこの作者から。

存在の耐えがたい軽さ、とミラン・クンデラはいうけれど、生きていることがそれだけでひどく重苦しい夜がある。自分にはかなり頻繁にある。白い蛾は実景なのだろうが、当然ながら象徴でもあるはずで、「ひたぶる」な気持ちで「堪へてゐ」るのは私の魂であるのだと思う。白い蛾はいずれ夜の重さに堪えきれなくなって、あるいは私たちの誰かに潰されて死んでしまうのだろうし、私もまたいずれいくつもの重い夜の先にふと堪えかねて死んでしまうのかも知れない。ともあれ、そんな最後の夜のおとずれるまでは、ひたぶるに白い蛾は飛び続けるのであろう。ときには重からぬ夜もあることを支えに。