一九四九年夏世界の黄昏れに一ぴきの白い山羊がゆれている

浜田 到(現代歌人文庫『浜田到歌集』国文社:1980年)

 浜田到の本領とは少しずれる歌なのだが、彼の歌集を読んでまっさきに目を惹かれたのがこの歌だった。そのころ、早稲田短歌で浜田到の勉強会があったりして、そこで一緒になった先輩がこの歌をいたく気に入って、二人で意気投合した。歌の意味もよくわからないまま、二人で酒場に出向いては「世界の黄昏れに!」と乾杯をしたものだった。

 以前、地元の地方紙に好きな歌としてこの歌について書いたときは、1949年夏に起こった世界の黄昏らしき事件としてソ連の核実験成功を挙げて、米ソ冷戦でいつでも人類が核戦争によって「自殺」してしまえる時代のことを詠んだのではないかと記したが、ソ連が核実験の成功を西側諸国にも知らせたのはもう少し後なので今となっては自信がない。ともあれ、最後に揺れている一匹の白い山羊は、スケープ・ゴートという言葉や、あるいは悲劇の語源が古典ギリシア語のトラゴイディア、すなわち「山羊の歌」であったことを思い出させずにはいられない。「山羊の歌」説については林達夫が戦前の早い時期に著書『文藝復興』で触れており、中原中也の詩集からしてその影響を受けたのではとさえ言われたこともあるので、浜田到にまで届いていても何らおかしなことはあるまい。

「世界の黄昏に!」と乾杯していた先輩は早々に「歌のわかれ」を済ませ、学究の道を選んでいまは四国の大学に教鞭を執っている。浜田到をはじめて詠んだ頃の懐かしい顔はひとりまたひとりと去って行き、今こそが本当の「世界の黄昏れ」のようにも思われる。否、70年以上ずっとこの世界は黄昏のうすやみに包まれ続けているのではないか……?