岩尾淳子


舟屋ってけっこう広いTシャツとカマスの干物が二月に吹かれ

高田ほのか 『短歌往来』4月号 第32号第4巻 2020年

日が長くなり、ゆうぐれの空があかるくなった。5時を過ぎてもまだ日が差しているので散歩にでかけた。街路樹の辛夷の花は満開。日暮れのしろっぽい空に溶け込みそうだ。公園の桜の蕾はまだ硬そう、まあゆっくり咲けばいい。家に籠っていると気持ちがどうしても内に向かってしまう。あかるい外に目を向けたい。

『短歌往来』に連載されている「自然を読む・撮る・描く」は日本各地の豊かな自然や街のあるいは村の暮らしをゆったりと短歌で紹介してくれる。いってみたいなと思う町に出会うと楽しくなる。

今月は京都府与謝郡伊根町だった。この町には何度か足を運んだことがある。日本海から深く入り込こんだ静かな伊根湾ぞいに舟屋と呼ばれる住居が軒を連ねている。町並みを歩きながら、ふと家をのぞくと家屋のなかに海面はいりこんできらきら揺れているのに驚いたことがある。

舟屋は海面にせりだして立てられていて、一階の部分は舟の倉庫であり、漁のための作業場もかねている。そこでは船の整備や網の修繕をするのが主な営みだろうけど、魚の干物や、洗濯物の干場にもなっている。海面と陸をそのままつなぐ空洞になっているので風通しがいいのだろう。この歌では干されているTシャツとカマスに関心がゆく具体がとても効いている。二月のきよらかな風に洗われている生活、その俗のなかの聖性がピュアなかたちでひきだされている。

この歌ではやわらかな言葉でその土地に生きる人の暮らしをさっくりと描写している。奇跡のような近さに海がある舟屋に営まれる人の暮らし。入り江のひかりや風のながれを取り込んで空間がひろがって見えてくる。描写されている風景に濁りがない。それは作為のない抒情によって言葉が配されているからだろう。おだやかな海としずかな暮らしが赦されるならずっと続いていきますようにという願いが伝わってくる。