夏ははや生いきの労いたづき苦しむか交つがひたる蝶むなしきに舞ふ

遠藤麟一朗(引用は粕谷一希『二十歳にして心朽ちたり』洋泉社MC新書:2007年による)

 作者は旧制一高から東大にかけてその華やかな才能と美貌を嘱望されながら、ついに何かを成しうることもないまま人生を終えてしまった悲運の天才。エリートの牙城だった旧制一高で一目置かれる存在として、彼の歌はいくつも愛唱されたという。

この歌はのち「眩き狂ふ」と改作されるが、別なところ(『旧制一高と雑誌「世代」の青春』)で言及される通り、初出の「むなしきに舞ふ」のほうが歌としてまとまっている。若くして人生のすべてを見てしまったかのような美貌のエリート青年にとって、青春を過ぎてから訪れるのは生きることの徒労とむなしさばかりが苦しげに光を乱反射させる無慈悲な「夏」だったのかも知れない。すべてを忘れ陶酔が訪れるはずの交尾の最中にもふと兆してしまうむなしさ、くるしさ。結局、生きることは神話のシーシュポスのような徒労の繰り返しに過ぎないのだろう。