ジャングルジムに少年たちがぎっしりと本を読んだりぶらさがったり

花山多佳子  『うた新聞』4月号 第97号 2020年

4月にはいっても休校が続いている。長い一日を子どもたちはどうやって過ごしているのかな。近所の大きな公園はいつもの散歩道。見ていると午前中はほとんど人影はないけど、午後になると子どもたちでいっぱい。塾も休みであれば、さすがに一日中家の中というのは辛抱できないだろう。すぐ隣の小学校の校庭はからっぽで人影もないのでなんだか矛盾しているなあと思ってしまう。

掲出した歌はおそらく今の公園の様子を詠んでいるのだと思う。公園のジャングルジムを使うのは普段であれば低学年の子が多いようだ。でも今は高学年の子どもも公園に大勢来ている。ここでは少年とあるから。おそらく低学年、高学年と隔てなく入り乱れて遊んでいるのだろう。その子たちがジャングルジムに登っている。それもぎっしりとあの小さな立方体の枠のなかに収まっていることを想像するとちょっと楽しくなる。しかも子どもたちの描写がおもしろい。ジャングルジムに腰かけて本を読む子はなんだか素敵だ。夢中になって読んでいるのはファンタジーなのか、歴史ものなのか。物語の世界がひろがるようだ。もちろんぶらさがるのもいい。それが本来の使い方だもの。

この歌の子どもたちはいきいきと輝いている。どうしても子どもを詠むときには、詠む側の観念が先行してしまう。美化したり、感傷的になったり、ノスタルジーをからめたり。
この歌では、対象である子どもたちに不要な操作をしかけていない。さっくりと過不足なくスケッチしながら、そこには手堅い観察の目がゆきとどいている。

しかも、言葉はあくまでもなめらかに子供たちの動きがそのまま伝わるような韻律に乗せられている。さりげない一枚のスケッチにシンプルな描線がくっきりと引かれていて印象深い。こういう光景はだれしも行きずりに見ているのだけど、たしかに見えているかというとおぼつかない。それは対象にはいりこんでゆく想像の力かもしれない。