『石牟礼道子全歌集 海と空のあいだに』(弦書房:2019年)
老婆は石牟礼の祖母のことだという。この歌について「精神に失調をきたした祖母は雪の夜に決まって家を飛び出し、捜しに行くのは幼い石牟礼さんの役目だった。雪道の先に見つけた祖母を抱きとめ、魂が入れ替わると思えるほど心を通わせた体験を詠んでいる」と朝日新聞デジタルの記事にはあった。近しい人が精神を病む体験はロマンチックからはほど遠く、消えない傷をいつまでもじくじくと胸に残すことになる。
だがこの一首を単純に、壮絶な体験の告白にとどめなかったところにむしろすごみを感じる。「ふけてぼうぼうともりくる」は、夜が更けてあちこちに灯がともるということなのだろうが、そこには老婆と「われ」とが入れ替わるほどの、現実の時間から離れた激しい時間の経過があり、その時間を恐ろしいほど明るく照らし出す存在の明るみがある。辻は人ならぬ人、人ならぬモノと遭遇する空間であろう。老婆の狂気は「われ」の狂気でもある。狂気の淵で時間と空間は変質を被り、もはや「われ」の同一性すら保てなくなる。そうした洞察が一首の詩として結晶していることに、ある意味では狂気をこえた恐ろしさを感じる。