壁のそばに葉が揺れてゐる葉のうらに風が光つてゐる五月であるも

                 加藤克己 『螺旋階段』 1937年

リビングの窓の近くに欅が見えている。緑道の欅で、もうずいぶん古い。少し弱っているように見えて心配していたが五月にはいってからやっと芽を吹き出してくれた。空一杯に広がった枝にうすい葉が風に揺れてきらきら光っている。木を見ているのはいい。ずっと見ていたくなる。静かで、ものやわらかで、それでいて溌溂と動いていて音楽のように美しい。

掲出した歌の葉もきっと木にちがいない。5月にはいって緑がつやつやと輝いている。ここでは〈壁のそば〉とあるのがいい。なんだか暖かい気がする。揺れている葉と気持ちが通い合っているようなふくらみがある。それを見ている作者の視線もくっきりと感じ取れる。さらに〈葉のうらに〉と細やかな部位にフォーカスされて、ひかりの粒粒が弾けるように見えて来る。見ることのよろこびがリフレインによって輪唱のように共鳴しながら高まってゆくのがわかる。シンプルな言葉で描かれている葉のように、風に揺られて光に洗われながら浄化されてゆく裸のこころがそっと差し出されているのが印象的だ。この歌集は、作者の第一歌集。まだ二二歳の学生だった。

 

月、ひとつ空へ。こころそつと鎮めれば 青い龜裂から花花はさく

 

この歌も魅力的。その表現の方法に新鮮なレトリックの仕掛けがあって楽しい。初句では月を空にそっと置く白い手が見えてくよう。さらに〈青い龜裂〉とは何だろう。青という色彩から夜空の喩かと思うが、そう単純ではなさそう、切ないような憧れが青という色に託されているように思える。そこにひりひりした衝迫が空間のあるいは心情の龜裂から溢れてくるようだ。龜裂は若さそのものだろう。その若さから咲く花々は想念の空間を浮遊している夢のようで美しい。一字明けの空白も夢想の時間をため込んでいるようで、文体に呼吸がある。夜の幻想的なイメージの構成に〈こころそつと鎮めれば〉というこころの指紋がそっと差し込まれていて、やや甘い感傷性を感じてしまうのも好ましい。