沼に沈む悲しき馬の嘶きを聞きてあわてて絵本を閉ぢる

小林幹也 『九十九折』飯塚書店 2020年

絵本のなかで馬が沼地に迷い込んでしまう。脚を取られてもがきらながどうしようもなく沼に引き込まれてゆく。馬の絶体絶命のシーンにゆきあたり、主体は馬の嘶きを聞いたという。おそらくは切り裂くようないたましい叫び。いたたまれなくて思わず本を閉ざしてしまう。この歌を読んだ瞬間、閉ざした本からまだ馬の悲痛な嘶きが響いているようで、また、それが手元の歌集からも溢れているようで思わず立ち止まってしまった。

馬はよく言われるように、とても賢くて優しい動物、姿かたちも美しく、どこか聖性がある。人よりもずっと純粋な存在のような気がする。フランシスジャムの『ぼくは驢馬が好きだ』という詩が思い出される。ここでは驢馬じゃなくて馬だけど、その美しさが哀しみをさそってしまう。

おそらくこの絵本のなかで出会った馬は賢く清らかに描かれていたであろう。その馬が死に瀕していることに、その悲しい運命に物語の外にいるものは手出しができない。ただ、馬の絶望を思いやり、悲しみに切り裂かれる声をこころに聞き、おののくばかりだ。

それにしても、絵本の中の悲しい馬にこれだけ気持ちが入ってしまう作者の内面の闇を思ってしまう。馬の最後の嘶きは、おそらく作者自身のなかの声だろう。馬はなんの罪もなく今、死にゆこうとしている。その不条理さ、あるいはどうにもならぬ宿命のようなものを直感的に感じ取っているのかもしれない。実際、われわれの生も死も不条理に満ちている。それを絵本の馬はとてもピュアなかたちで目の前に手渡している。不安を抱えながら生きている心は、そのあまりに罪のない悲しみには堪えられない。

この歌では、現実的にはなにも起こっていないのだけど、想念の世界でほんとうの悲しみに遭遇してしまった内的な体験が表現されていて印象深い。また、馬という無垢な存在の生と死をとおして、命へのしずかな祈りがあるような気もする。