新月はまだ宵ながら没いらむとす星のひかりの空にさやけき

田辺元『田辺元全集14』(筑摩書房:1964年)

 西田幾多郎の後継者にして批判者でもあった田辺元は、ひところアララギに関係して島木赤彦から歌の添削を受けたが、あまりに丁寧な添削に恐縮してすぐに歌を出すのをやめてしまったという。凡庸な写実、というには主観の吐露の大きい歌が思いの外多く、掲出歌はその中から写生に徹したものを何とか拾った。田辺は後年、ヴァレリーやマラルメの詩を哲学の題材にとり、モーリス・ブランショなども原書で熟読していたようではあるが、自身が詩作をするとなると理に落ちすぎるきらいがあるようだ。この歌でも新月と星のひかりの対比がわかりやすすぎて、やや興を削ぐようなところがある。ごりごりの合理主義者だったという田辺の性格が出ているところでもあるか。

この我のあさましさ見つ自らを嘉みする心なほも消えぬか  同上

合理主義者であるとともに、自他共に厳しいリゴリストでもあった田辺はしかしというべきかだからというべきか、こんな歌も残している。文化勲章すら代理人に受け取りを任せたというくらい自分に厳しい田辺が、消そうにも消えない「自らを嘉みする心」に悩まされていたのは、彼を短歌に近付ける一因でもあったのかも知れない。