閉店のやさしい音楽が流れて、旅を勧めてくる雑誌を閉じる

郡司和斗 『かりん』2020年5月号 第43巻第5号

ふっと気持ちを誘いこまれた。なんだか虚をつかれたような静かな心地よさがある。定型におさまらない、自然な叙述も内容と合っていて違和感がない。

歌の中に「閉店」「「閉じる」とふたつの「閉」という字が使われている。それがこの歌の特徴をよくあらわしている気がする。立ち寄っている店は閉じられ、そして読んでいた旅の雑誌も作者の手によって閉じられる。すべては作者のまわりから遠ざかってゆく。

しかし、そのことから寂しさや空虚感へいくのではなくて、どちらかというと、終わっていくこと、つまり閉じてゆくことによって、気持ちはあたたかく満たされているような印象がある。「閉じる」ことは世界との慎ましやかな関りであり、それは恥じらいを象徴しているように思う。

叙述されている場面は作者が立っている場所のはずなのに、なんだかすべてが遠景のように見えて来る。閉店の音楽はたいてい「蛍の光」か「夕焼け小焼け」。でもそれを大抵の人には「やさしい音楽」というふうには聞こえていないはず。それをやさしい音楽と簡素に言いかえることで、さらには親和を示すことで、日常にからみつく時間の拘束感がやわらかにほどけてゆくようだ。それは現実のささやかな抽象化であり、なつかしいような詩情を呼んでいる。

また「旅を勧めてくる雑誌」という目立たない擬人化にしても、受動的な立ち位置にはかわらない。閉店までのわずかな時間を旅への夢想を楽しむ。そして時間がくれば閉じておしまい。好きな対象でも自分の方に引き寄せ、所有するのでなくてさりげなく手放してゆく。

ソーシャルデスタンスということがよく言われているけど、この歌にあらわれているスタイルは、実体のあるものと密着しない距離が自然に保たれている気がする。ある物よりもないものへ、近づいてくるものよりも、遠ざかってゆくものへ気持ちを添わせてゆく。
それは形を持ってしまうことへの恥じらいや、怖れでもあり、固着せず風のように自由でありたいという願望かもしれない。