吉田隼人


雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ

小池光『バルサの翼』(引用は『現代短歌文庫 小池光歌集』砂子屋書房、1990年による)

 二十歳の夏、この歌が頭から離れなくなっていた。雪に傘、雪に傘、それだけの言葉が繰り広げる情景のなんとうつくしいことだろう。初句ひとつ、たった五音、たった三文字とひとつの読点だけで、このうえなく広い空間が立ち上げられていく。そしてそこには光が充満している。「あはれむやみにあかるくて」。あはれ、は、アワレ、アハレ、アファレ、いくつもの発音を脳内に響かせながら光を乱反射させていく。隠れなく。なにせ「無闇」なのだから。

その明るさは存在の根源を開示するような明るさ、なのかも知れない。いやむしろ、損座の根源すら見えなくしてしまうようなまぶしさなのか。生きていれば苦を負わずにいられない。生まれてこなければよかった、と何度つぶやいたことだろう。そうした苦しみや悲しみをすべて忘れさせる──いな、忘れさせはしないにしても、疑わせるだけの雪、傘、光。疑い抜いた果てには何がある? きっと「われ」がある。17世紀の哲学者が『方法序説』で教えてくれたことだ。そしてその先には、きっと「生きて負ふ苦」が。そのことを否定しないからきっと、この歌の輝きはいつまでも残り続ける。