窓のそとに木や空や屋根のほんとうにあることがふと恐ろしくなる

石川信夫『シネマ』(引用はながらみ書房:2013年の復刻版による)

 何かが存在することはそれだけで驚きに値することだ。空は存在する、とは言えないかも知れないが、とにかく「ほんとうにある」ことは確かだ。なにもかも、ありとしあらゆるものが「ある」ことに、何の根拠もなく「ある」ことに嘔吐をもよおしてマロニエの根本にうずくまったのは、サルトル描くところのアントワーヌ・ロカンタンだった。

何よりもまず、何の根拠もなく「ほんとうにある」恐ろしさは、しかし自分自身のそれではないか。両親に求められたにせよ、当人は何もわからないまま「ほんとうにある」ことにさせられる。あらゆる存在者が存在することに「ふと恐ろしくなる」とき、本当に恐ろしいのは、自分自身が「ほんとうにある」ことではなかったか?