いかにせん雲の行くかた風のおと待ちなれし夜に似たる夕べを

延政門院新大納言  風雅和歌集 恋四 1278

 

訳 どうしよう、この雲の流れてゆく方向、そして吹きわたる風の音、まるであの人を待ち慣れていた夜とそっくりなこの夕べを。

作者は宮廷に仕える女性。 ほんとうにどうしたのだろうか、この動揺ぶりは。おそらく空には大きな雲の塊が押し寄せるように流れており、吹き下ろす風が木の葉を揺さぶる音がざわざわと響いていたにちがない。なにかが起きる予兆のように。そう想像したが、これは恋人をときめきながら待っていた夜のこと。夜空に流れる雲も、風の音もいとしい人の気配のように柔らかだったと思う方がふさわしい気もする。

どちらにしても、この女性は、今日の夕ぐれどきの空模様に全身の感覚を預けている。空を流れてゆく雲の方向をたしかめ、風の音に耳を澄ませながら、からだじゅうで、かつての恋人との逢瀬の瞬間のときめきをフラッシュバックしているようだ。この歌からは雲や風といった天象が、みずからの愛恋を秘めた内面にいっきに流れ込んで溶け合うような陶酔感が立ち上がってくる。記憶と現在が呼び合うような夕暮れ時に。

しかも、それは記憶のなかから呼び寄せられ、かつ大きな自然の息吹をまるで自身のように感じ取るほどの強い官能であること。そこに、圧倒的になまなましい心の生動があるように思う。こんな切迫感のある歌が、中世の後宮において詠まれていたことに胸をつかれる気がする。

作者は、藤原定家の曾孫であり、藤原為氏の娘。このころは、歌風によって、家が分裂しており、為氏は伝統的な規範を重んじる二条派の祖といわれる。その父をもっていながら、この娘は、父と対立する京極派を率いる、京極為兼の催す歌会に歌を出していたようだ。

そこにどんな軋轢があったのかは分からない。残されている歌はごくわずか。ただ、この一首を読んだだけでも、この人が伝統的な縛りをきらって、自由にこころを詠めばよい、という為兼に強く惹かれて行ったのは当然の成り行きのように思える。

この歌のなかにはあふれるような感情があり、それを詠みたいという歌への切望がふるえるように燃えている。

渾身の恋歌をのこした14世紀のこの女性は生没年未詳とか。