大らかに夏雲はしる野の森の泉に足を洗ひてゆきぬ

山川登美子   雑記帳(中ノート)1906年
「山川登美子全集・上巻」文泉出版

 

8月にはいってから猛暑の日々。焼けつくような青空をみあげて、ちょっと疲れ気味です。夏空ってもっと爽やかだったのでは。そう思って思い出したのがこの歌。病弱な印象のある山川登美子の歌のなかでは、明るく颯爽としたこの歌が気に入っている。

夏のまぶしい日差しが照りわたる郊外だろうか。空にはゆったりと夏雲がながれている。見晴らしのよい野原にでて、夏木立のすずしい日陰にはいってゆく。そこには清らかな泉が湧いており、歩きつかれた足をひたしてしばし涼をとる。そしてまた、夏の野へ出てゆこう。こんなのびやかな気分が大きな夏の風をはらむようにさらりとスケッチされている。

この歌は明治39年の夏の初めころ、京都に滞在中に詠まれている。前年に不治の病を得た登美子は、東京での生活を引き揚げて、故郷小浜に帰る途中、京都の姉の婚家に身を寄せていた。ここで登美子は中ノートと呼ばれる雑記帳に100首ほどの歌の草稿を書き記している。

このノートでは、登美子がそれまでの明星風に気負った歌の類型からようやく抜け出して、自由に想念を遊ばせながら自在に歌作りをしていることが伝わってくる。登美子にとって東京は常にテンションの高さを執拗に要求される空間だった。そこから離れて帰郷してゆくことは、本来の自己にゆるやかに回帰する時間になったような気がする。そして、初夏のみどりしたたる京都の町はそんな登美子をやさしく癒してくれたはずだ。

この歌のような開放的な一日が登美子にほんとうにあったかどうか。これは、登美子のこころのなかに夢見られたまぼろしの夏野かもしれない。それにしても泉に足を洗うときの体感の出し方は水をはじくように溌溂としていて、生きていることの喜びが伝わってくる。

 

いくとせの中の一日をはぐくみて夢にやりませさもよき日をば

 

中ノートの最後の歌。ここには既に自らの死を冷静に見据えながらも、のこされた日々のなかで自由に夢をみることへの願いが明るく詠まれている。現実から離れて空想することもまた精神の悦びであろう。登美子二八歳の夏。