翡翠かはせみの前世おそらく青空のかけらわがこころこそ夜の霜

         塚本邦雄 『閑雅空間』 塚本邦雄全歌集 第四巻  短歌研究社

 

近所の池にときどき翡翠を見かける。かがやく青がしたたり落ちる雫のように視界をよぎってゆく。もう姿を隠したと思ったら、すぐ近くの枝で羽を休めていたりする。まことに背中の青が鮮やか。その宝石のような青を見ているとついこの歌を思い出す。

 

この歌は思いがそのままつぶやきになり、書き留めたという感じがする。名詞をぽつりぽつりと置きながら、その言葉を問い返しているようだ。それにしても作為が目に付かず、自然に言葉が流れている。翡翠の体の青さに見とれているうちに、翡翠がまるで青空の欠片のように思えてくる。そのメタファーをさらに美しく完成させているのが、翡翠の前世という異世界の介入だろうか。前世と現世とを行き来するように想念が揺らぎ始めている。そこには清浄で典雅な空間がひらけてくる。

 

ところがその一瞬の陶酔を打ち砕くように「わがこころこそ夜の霜」と提示される。翡翠の夢から覚醒するようなフレーズ。「こころ」が「夜の霜」とはどういうことだろうか。前半の「青空」に対置しての「夜」かもしれない。そして、翡翠が「青空のかけら」という可憐で無垢な美しさの象徴であるのに対して、「夜の霜」には闇の地上を覆いつくしす冷え冷えとした白さがイメージされる。それはどこか冷徹な魔王のような存在の象徴か。夜というところにどこか罪のにおいもするような。そんな邪悪さこそがわがこころだというのだろうか。

ここまで考えて、やはり「夜の霜」は負のイメージよりも闇の清浄さをイメージしているのかもしれないとも思う。ほんとうの闇は美しいから。おそらく、翡翠の前世は、自らの過去世のことでもあろう。青空のかけらは、青空の傷口でもある。そう思うと、シンプルに思えた歌が奥深い謎を含んでいるようで何度も読み返してしまう。