梶原さい子『ナラティブ』(砂子屋書房:2020年)
短歌など作って何になるのだろう。こんな短い歌を寝せて立たせて、あれこれいじってみて、あっちを削ってみたりこっちを長くしてみたり、しょせんお人形遊びのようなものではないか。そんな思いに駆られてしまう日々というものがある。
短歌どころではないような生活の苦労に追われていたり、大きな災厄に見舞われたりするとき、そうした気持ちになることが多いようだ。お人形遊びも没頭できるうちは楽しいのだが、ふと我に帰ってしまうと、あるいは没頭していられないような何事かが起こってしまうと、どうしようもなく虚しくなる。
短歌もお人形遊びも没頭していられなくなると心が、暮らしぶりがすさんでくる。お人形遊びのごときことに没頭していられるような日々こそが重要だったのかも知れない。