玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の﨑に舟近づきぬ  

 

柿本人麻呂  万葉集 巻三 350

 

7月も末というのにまた雨模様。海がかがやく夏らしい晴天が待ち遠しい。

夏にかぎらずだけど、よく晴れた休日には淡路島が対岸に見渡せる浜辺に出かける。明石から垂水まで、よく整備された海浜公園が海岸線に展開していて、自転車で走っても気持ちがいい。雨のあと空気が澄んだ日には淡路島はもちろん、小豆島やとおく四国までも見渡せる。目の前は野島の﨑。海峡を過ぎてゆくとりどりの船をぼんやり眺めているのも楽しい。

今は明石大橋が掛かっているけど、海の眺めは人麻呂が見た時代とそうは変わらないはず。そう思うといつもこの歌が頭に流れてくる。「玉藻刈る」「夏草の」という美しい枕詞が二つ、そして「敏馬みぬめ」、「野島」という近隣の土地の名前が二つ、一首の中に並んでいる。このあたりに住んでいるものにとっては、どちらも耳に優しい地名。枕詞と地名それぞれがのびやかに明るく響き合って広々とした陽光のあふれる空間を立ち上げている。言葉の響きの美しさと、美しい風景が溶け合って、この歌を1300年も生かし続けている。

今の敏馬神社あたりは古代には難波の津から西国へ向かう時の最初の宿泊港。そこから、野島の﨑を通過するまでどれくらいかかったろうか。風さえ順風であれば、そう時間はかからない気がする。いろいろな説はあるけど、ここでは敏馬を出たと思ったらもう野島の岬が近くなった、もっとこの風景をゆっくり見ていたい、と惜しむ気持ちが滲んでいる気がする。それくらい、敏馬神社のある神戸から須磨、そして明石のあたりの入り海の風景は素晴らしい。海峡を過ぎるとここから先は西国の海。ちょうどホームシックにかかるスポットかもしれない。あるいは旅の前途にほのかな期待を寄せたであろうか。

 

荒たへの藤江の浦にすずき釣るあまとか見らむ旅行く吾を  巻三 352

 

荒たへは藤の枕詞、枕詞が初句に入るとやはり万葉らしい大らかな律動が流れはじめるようだ。藤江は明石の西隣の付近。この藤江に若いころ住んでいたのを思い出し懐かしい。そのころ、まだ整備されていない汚れた浜だったけど、この碑が浜辺に立っていたのを覚えている。目の前には淡路島の西浦が見わたせる。このあたりの浦は古代から現在にいたるまでとてもよい漁場。当時から釣り船がたくさん出ていただろう。人麻呂は、そんな釣り船を分けるように西国への航路を進んでゆく。中央政府の役目を負った人麻呂の歌にはそんな気負った気分がでていてちょっと親しみを感じてしまう。