岩尾 淳子


いちじんのわたしは春の風である環状線の森ノ宮駅

 

吉岡生夫『草食獣 第八篇』ブイツーソリューション:2018年

*編集部注:吉岡さんの吉は、本来は土に口ですが、環境依存文字のため「吉」を使用しています。

 

大阪の環状線森ノ宮駅は大阪城公園の南端にあり、目の前に広大な緑地が広がっている。深緑が芽吹き始めた大阪城公園から柔らかな風がホームに流れ込む。その風のような私がここにいる。しかも、風はあくまでも風であり、いちじんにしてかき消えてしまう。私の人生も軽々と吹き抜けてかたちを失う風のようであればいい。そんな気分だろうか。なんともシンプルで軽やかな歌。

まさに春の風そのものが流れているような平淡な口語文体に、はるかなものへ憧れるようなみずみずしい浪漫性が捻じ込まれている。また、環状線の森ノ宮駅という俗な世界をそこに取り合わせることでほのかな郷愁のような哀感が漂う。ここにこの作者独自のはにかみがあるようだ。第八歌集まできて、向こうがわに自らの滅びをしみじみと見据えるようなふっくらと余裕のある世界が広がっている。

 

雲梯のパイプとパイプにおさまってきれいだ 冬の北斗七星

 

冬の冷気に触れてさらに硬さを増したような雲梯のパイプ。そのすきまから見る北斗七星は氷のように輝いていたことだろう。雲梯と星の取り合わせもふさわしく、響き合っているようだ。フラットな口語体を使って簡素な作りの歌だ。饒舌さを避けて、なんの主張もしない。ただナチュラルな詩情だけが静かに香っている。

 

吉岡生夫は1979年に第一歌集『草食獣』を上梓して以来、同じタイトルで歌集を出し続けている。このタイトルへのこだわりには驚く。本人にしてみれば、個人の歌集としては当然のことであるのかもしれない。それにしても、「草食獣」には「人畜無害」という意味合いがあり、そうした自己規定にはゆるぎのない一貫した思いがあるようだ。

吉岡の歌風は当初から平明な詩情に満ちていた。恥じらい深い情感は、歌集を重ねるごとに雅から俗へと近づいてゆく。ユーモアを取り込むことで、現実の居心地の悪さをかろやかに脱力してゆく。吉岡は口語体の短歌を長く模索してきた歌人の一人であり、2018年に出版した第八篇では完全口語へ移行している。

吉岡の定義では口語ではなく現代語短歌ということになる。その文体によって、現実の中で生きる実感をあえて異化せずに素手で掴む方法を試行しているように思える。現代語短歌にどこまで豊かな表現が可能か、これからも吉岡の歩みを注視していきたい。

 

どうにでもなれと屋台のラーメンの湯気よ 涙がでるではないか   第一歌集『草食獣』

スイッチを押してあかるむ部屋にをり明日がみえるといふことさみし 第三歌集『草食獣』

その中の闇もろともに流れゆく空缶たのし浮きて沈みて       第4歌集『草食獣』

気忙しき人がまはせどダイヤルは同じ速度でもどりてゆきぬ     第5歌集『草食獣』