流れないのなら僕はもう帰るよカシオペアを空に残して

        永田淳 『竜骨キールもて』砂子屋書房  2020年

 

 

最初にこの歌に会ったのは結社誌だったろうか、一読して心に刺さって忘れられない歌になった。

飲み会の場だろうか、もうとくに話題もないのにメンバーは席を立たずにぐずぐずといて、流れそうにない。そんな場を抜けて、ひとり先に帰るときの寂しさ。あるいは寄る辺なさが、なんの衒いもなくやわらかな口語にくるまれて切ない。朝まで飲むほど、もう若くはない、だけど人生にまだ草臥れてもいない。わけのわからない何かへの怒りや、憤懣、屈託の燻り、あるいはかすかな希望が捨てがたく香っている。

ここまで読んで、流れそうにないのは、やはり流星のことだったかと思いなおした。流星群を見ようと待っていたけど、なかなか流れそうにない。だからぼくはもう帰るよ、と夜空に告げたのかもしれない。このほうが静謐で透明な印象なんだけど、やはり飲み会の喧騒も捨てがたい。

カシオペア座は北極を中心にして回る星座で一晩中地平に沈むことがない。夜空に残すカシオペアは、自身のなかに傷のように持ち続けてきた苦しい矜持をシンボライズしている気がする。そういえばギリシャ神話のなかでもカシオペアは気位の高いのが災いした王妃ということ。ナイーブな口語のなかに、青春の残像を背負った傷みが清冽に流れていて、美しい一首と思う。

 

ミゾソバの花扱きつつ才能をうらやむのはもうやめようよ

 

同じ連にあるこの歌も、まるで私にいわれているようではっとしたのを覚えている。文語体が主流の作者だけど、こうして親密感のわく口語の歌に出会うと、まったく無防備な素顔の表情に出会ったようで新鮮だ。しかも、上句の入り方には鍛錬した写実の方法が歌にナチュラルな実感をあたえつつ、力を逸らしてバランスがいい。もっと口語の歌が読みたいと思う。

 

目つむりて歯を磨きいる午後十時どこかの岸を離りゆくごと

 

歯磨きは人を孤独にするせいか、様々な想念がわくらしい。この歌は歯を磨くことが、どこかの岸を離れるように感受されている。歯列は確かに岸に似ている。寝る前に歯を磨くことで、一日の疲れた自分から離れようとしているのか。あるいは未知の自分への小さな旅立ちの儀式を知らず知らずにしているのかもしれない。この作者らしいロマンがあり、つい立ち止まった。

 

わがごとのようにもやがて思おえて毛先のかたき歯ブラシを選る