岩尾 淳子


あの雲のすそをつまんで岸辺までぐいと引き寄せられないか、夏

 

加藤英彦『プレシピス』ながらみ書房 2020年

 

雲はたいてい、ゆったり、あるいはすばやく流れたり、様々なかたちに形をかえる自在さに思いを託して詠まれることが多い気がする。それは雲の巨大さからくる印象だろうか。その雲をここでは「すそをつまんで」「ぐいと引き寄せ」たいという。まるで巨人のような雲を自分の胸の内に引き寄せ、組み臥せてしまいたいという熱い欲望が渦巻いている。雲はとりもなおさず、この現実世界そのものであろう。その既成の世界に安住せず、いや、することができずに、たゆまず更新していこうとするエネルギーが言葉に刻み付けられている。それはここにないものへの強い憧憬といっていいかもしれない。

 

巨大な世界の闇や光をみずからの意識の中にとりこむことで、より大きく膨らんでゆく意識世界。それは海水温の高い海域を駆けあがってくる台風の目のように強力だ。

作者の中に今も顕在している、高い青春性がこの歌から感じられる。それはやはり夏という季節を呼び出さずにはいられない。

 

途轍もない寂寥わけり西の空をふさぎて大いなる夏の雲

 

強靭な反逆精神にはいつでもその裏側には寂寥感が張り付いている。どうにもならない寂寥感が現実の中で収まり切れずに、反逆の姿勢を呼び出すのかもしれない。この歌でもやはり夏の雲が詠まれている。夏の雲は作者自身の化身であろう。夏という季節はその光よりも、濃い影の方がどちらかというと印象的な気がする。

 

この歌集の中では、基地問題や原発事故への身体感覚をともなった痛みの共感、そして権力の告発を詠む歌が多く収められている。それはこの作者の自由への強い希求のもたらす領域であろう。また、その社会性を補完するように別れゆく子を思い、先立ってゆく父、母、あるいは友人を恋い慕う歌がこのうえなくナイーブな言葉で綴られる。そのベースにある寂寥感はみずからの死をも射程にいれており、けっして甘くはない。

 

もうだれも信じていない夕暮れの沼からひだり手がみえる位置