雲のからだに骨はないのに悲しみという感情はつくづく勝手

            小島なお 『COCOON』17号 2020年

 

うまく説明はできないけど、その説明のできないところにこの歌のエッセンスがあるように思う。自身の感情については、なにひとつ断言してはいえない。いつだって曖昧模糊として動き回っているのが感情であり、それが、悲しみなら猶のこと手に負えない。悲しみは、私そのものであるからね。

あるいは感情そのものを詠もうとして形を与えてしまうと、最初の悲しみとはちがって、言葉からすり抜けてしまう。感情を言葉にすることが、そもそもそぐわないんじゃないか、という表現することへの躊躇、あるは危惧がとても繊細に詠まれている。

それにしても〈雲のからだに骨はないのに〉というフレーズと、それにつづく感慨とはどうつながるのだろうか。ここでも思考の流れの中で、こまやかな迂路をさまよっている気がする。想念は右へ左へと揺れながら、ふっと溜息をもらしている。そんな逡巡する時間がそのまま、ひとつの文体に生まれかわったような、一回きりの表現にであって、きりっと胸を衝かれた。

 

河合育子

似るひびき知るや引き合う不思議さの〈香草焼き〉と〈高校野球〉

かろやかな韻律に乗せて、言葉のひびきが楽しく絡みあっている。意味から自由になって、〈香草焼き〉と〈高校野球〉が弾んでいるようだ。どことなく香ばしい草の香りや、健やかな少年たちの姿がイメージのなかで遊んでいる。

 

借りものの電卓どこか打ちにくく借りものの指うごかして打つ

ああ、こんなことってあるな、って共感してしまう一首。キーの場所が微妙にちがうから、動きがずれてしまう。この微妙な違和感を〈借りもののゆび〉と表現したところに発見があるようで、楽しい。

 

齋藤美衣

豆を煮るにほひは立体 りつたいの中でわたしは息をしてゐる

 

豆を煮る歌にはよく出会うけど、その匂いそのものに接近してゆく歌はそれほどみない。匂いが立体、というフレーズにまず虚を衝かれた。直観的にそういったのだろうけど、豆の匂いの濃厚さを鮮やかに視覚化というか、空間化している。つづく表現もそっけなくて、どことなく即物的なんだけど、豆を煮ている私の存在感は圧倒的だ。不思議な言葉の感覚に魅せられた。

 

渋谷美穂

この星の反対側のスーパーでも親子が消毒液を掛け合う

 

パンデミックな状況をなんともこまやかな場面に落とし込んで、印象的。ここでは親子が消毒液を〈掛け合う〉という、なんでもない動詞に事の異常さをフォーカスされているようで、そこにも注目してしまった。

 

有川知津子

なふたりんのにほふ五段の抽斗をたがひちがひに重ねれば秋

 

これは和箪笥のような気がする。きっと着物がぎっしりしまわれていた抽斗。抽斗をあけたり閉めたりしながら着物や小物を散らかしながら楽しんでいるような。妄想かな。でもそうおもうと季節が秋にかわるような気がする。

 

 

 

大西淳子

Ⅴの字の翼をもてば梅雨晴れに羽ばたく白き洗濯ばさみ

 

今年の梅雨は長かった。とくに東日本は雨の日が多かったと聞く。そんな長い梅雨の合間に、ふと雲が割れる日があったのだろうか。久しぶりに青空に洗濯物を広げる喜びが、洗濯ばさみに翼をつけてしまった。さわやかな印象の歌。