小川真理子『母音梯形(トゥラペーズ)』(2002)
作者はこの歌の当時、フランス語の教師をしていた。
生徒は日本語話者。特にその直前直後に、
・赴任する禿頭(とくとう)の男三人に実用仏語会話を教ふ
・戦中は少年たりし生徒らに「マドモアゼル」と呼ばする我は
があるから、この一首での生徒は、中年の男性なのだろう。
外国語を習得するための柔軟なアタマを失くしてしまって、それでも必要に迫られてしぶしぶフランスを習っているオジサンたちが目に浮かぶ。
ただし、一首だけを抽出しても十分に成立する。どんな年齢性別の生徒でもやりそうなことなのだ。
音がとくに美しいと言われるフランス語。それをアルファベット表記の通りに努力して発音しようとせず、日本語の狭い母音子音システムの中に変換し押し込めてしまう生徒たち。
それは外国語の学習として愚かな行為であるだけでなく、その言語をよく知って教えている人にとっては、「虹を消す」ような果敢ない行為に見えるのだ。もったいないというよりも寂しさが勝るような気持ちだろう。
このときの作者は、生徒に向けて怒ったり呆れたりしているのではなく、フランス語という美しい存在(あるいはフランス語の神様)に対して申し訳ないという気持ちもあったように感じられる。