久我 田鶴子


埋められて兵の片足天を指す時経るほどに脳裏を去らず

許田 肇 『福木の双葉』 ながらみ書房 2020年

 

作者は、大正12年、沖縄生まれ。

18歳の時に太平洋戦争が始まり、20歳で徴兵検査を受けたが、体格が基準に届かず入隊できなかった。(徴兵検査に合格した同級生たちは何人も戦死した)

昭和20年、沖縄戦が始まった時は22歳で、新聞社に勤めていた。首里城地下の壕で新聞を発行していたが、敵が迫ってきて社は解散。南部に避難することになり、地上に出てみると首里城はなかったという。

一般人として否応もなく地上戦に巻き込まれ、命からがら逃げまどう中、炸裂した弾の破片が持っていたスコップを貫通し太股に突き刺さった。スコップは壕を掘るために持っていたものだが、そのスコップのお蔭で命拾いしたのだった。

その時のことを次のように詠んでいる。

 

着弾の破片スコップ貫きて腿に食ひ込み命拾ひぬ

傷負ひて身をかばひつつスコップに縋りて逃げたり弾の飛ぶ中

 

逃げまどう中で目にしたものは、まさに地獄。言葉にしようにも、どんな言葉も軽く思われ、黙っていることしかできなかったという。

この一首は、長い時間が経過してから、ようやく出てきた言葉である。

埋められた兵の片足が地面から突き出て、天を指している。その光景が「時経るほどに脳裏を去らず」と言う。「時経るほどに」とは、時が経つにつれて忘れられるというものではなく、逆に、ますます頭から離れないものになっているということだ。脳裏に刻印されたかのような映像。

激しい地上戦の中では、死んだ兵を丁寧に埋めることなどできなかっただろう。埋めてさえもらえなかった死者も大勢いたにちがいない。「兵の片足天を指す」は、死んだ兵の抗議のかたちとも見える。作者の記憶の中に、死んだ兵はそのかたちを崩さない。しっかりと覚えておけと言うかのごとく。

長い歳月を潜って現れ出てきた記憶は、なんとも象徴的である。

戦後の沖縄がたどってきた道。日本に復帰した後も米軍基地はなくならない。それに関連した様々な問題もなくならない。そういう沖縄の戦後を、沖縄戦で命を拾った人たちも家族とともに生き抜いてきたのである。

作者は、令和元年にカジマーヤー(97歳のお祝い)を迎えた。