久我 田鶴子


忘恩というえにしあり花咲けばゆるむこころのあわれなりけり

三枝 昂之 『遅速あり』 砂子屋書房 2019年

※作者名の「昂」、正しくは、左下部が「エ」のような形の字。

 

「忘恩というえにしあり」に、ハッとする。ふつうなら、恩を受けたことで繋がるえにしかと思うのだが、この歌ではそうではない。恩を忘れる、恩知らずということで繋がる縁があると言う。

恩は受けなかったのではない。受けたのに、それを忘れた。あるいは、故意に無視したのであったか。

時が経ってから、ほんとうは恩ある人に恩知らずなことをしてきたと気づく。なかなか辛い。取り返しのつかない程のことであれば、余計に忘れがたく、その人のことを思う度ごとに胸が痛む。そういう人と人との繋がり、「えにし」というものがある。

一首は2句目で切れたあと、「花咲けばゆるむこころのあわれなりけり」と続く。

花が咲く頃には心が緩んで、しきりにわが身の恩知らずぶりが思われたりする。それもあわれなことではないか、と。

表現は古典的、というか、これはもう和歌だ。和歌の格調をもって、言い難いところを歌にし得たという感じがする。この内容を口語で表現しようとすると、収まりがつかなくなりそうだ。和歌風に装うことで、ようやく表白できた思いなのかもしれない。

若い時の身の程知らずは、人の言うことが素直に聞けなかったり、いつも自分の方が正しいと思い込んだり。

その当時は、むしろ自分にとって〈負〉と感じられたことでも、時が経ってみると、あの人があの時ああ言ってくれたから、ああしてくれたから、今の自分がいるのだなと思えることがある。

思い当たることは私にもあって、恥じ入るばかりだ。

人生で〈忘れ得ぬ人〉、その中には「忘恩のえにし」の人も何人か混じっているような気がする。「あわれなりけり」と言うしかない。ひそかに痛みを抱えながら、恩返しの真似事でもしようか。

春、花が咲く頃にもなると、かたくなな心もほぐれて、至らなかった日々のことが胸の痛みとともに思われたりもするのである。