(帰るつてどこにだらうか)コントでは手首をひねつたら部屋の中

石川美南『体内飛行』

 

すごくしゃれた下句(というか三句以下)だなと思って心に残りました。
お笑いなどの、舞台上のコントですよね。
コントはセットみたいなものがあることも多いですが、だいたい簡単なもので、部屋の内外がある場合でもドアはなかったりする。
そこで演者の人がドアを開けるジェスチャーをする。
そこのところを言っているのでしょう。

ここには、実際は多くの省略があると思います。
手首をひねってから、ドアを開くジェスチャーをくっきりするだろうし、そこから部屋へ入っていく動作もあるはずだけれど、
そこで行われることの中心、変さの中心は何もないところで「手首をひねる」なのかもしれない。
「手首をひねつたら部屋の中」は、小気味よくてマジカルな表現になっている。

この歌には引用による詞書きがついていて、

 

そこで、佐助は久し振りの飛行の術で一足飛びに帰ることにした。

                             織田作之助「猿飛佐助」

 

というものです。ちなみに連作は「飛ぶ夢」というタイトルで、飛ぶことに関する文学作品の引用がすべての歌に詞書きとしてついています。
織田作之助の「猿飛佐助」、わたしは未読ですけど猿飛佐助なので、忍術ですよね。
詞書きと歌の関係はたぶん淡いもので、「帰る」と「術」がうっすらと響いているというくらいなのかなと思いました。
それでも、コントの中のジェスチャーが「忍術」に比喩されるという関係はあると思って、
舞台上のそれに一つのマジックみたいなものを見出すというのが、この歌のやっていることなのかなと思います。

「コント」はわりと日本人の日常にあるもので、笑いが主眼になるし、テレビやYouTubeで見るそれは、普通はマジカルなものからは遠い。それがこの歌だと、手品やパントマイムみたいに見えてきて、しゃれた雰囲気もただよってくる。

「(帰るつてどこにだらうか)」は、わたしはあまりくっきりとらなくて、なんとなく「帰るところは定まっていないかもしれない」というような浮遊した気分が置いてあるという感じかと思いました。括弧に入ってるし。
誰かが「帰る」と言って、「どこにだろう」と漠然と思った、というようにも見えます。

それが下句と合うことによって、「帰る」ということの輪郭が不思議にずれたり、ぼやけたりしてくるような歌かと思います。

 

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