久我 田鶴子


青き空 わたしの上にひるがえる旗には「壊せ神殿を」とありぬ

大島 史洋 『どんぐり』 現代短歌社 2020年

 

「わたしの上に降る雪は」なら中原中也だが、ここでは「わたしの上にひるがえる旗」で、天気は晴天である。

青空のもと、「わたしの上にひるがえる旗」。そこには「壊せ神殿を」とあった、と詠う。

「壊せ神殿を」とは、何事か。

 

人間が壊れるとは比喩ならず肉体ならず目に見えぬなり

だんだんと変になりゆく自分なりそれを知りつつ少し楽しむ

 

一首目は、2015年作。人間が壊れるということについて詠われはじめている。これまで比喩だと思って使ってきた「人間が壊れる」という表現が、比喩ではなくて実際に壊れるのだという実感。しかも、肉体のことなら目に見えて分かるが、目に見えないところで「壊れる」のだと。言葉が、表現が、実態を為して作者の身にも襲いかかってきているようだ。

二首目は、2016年作。ここに取り上げた一首のすぐ前に置かれている歌だ。「だんだんと変になりゆく自分」を自覚する。だが、「それを知りつつ少し楽しむ」には、まだ余裕がある。

他人事と思っていたことが自分自身にも始まってくる。あれあれ、こうなってくるか……と。そうして、その先はどうなるんだ?

 

青き空 わたしの上にひるがえる旗には「壊せ神殿を」とありぬ

 

大手出版社で辞書を作っていた人だ。頭には、言葉に関する膨大な知識が詰め込まれている。歩く辞書、それもまた比喩だが、それは人のかたちをした言葉の神殿、知識の神殿とも言えよう。上にひるがえる旗には、それを「壊せ」とある。「壊れる」のではなく、むしろ「壊せ」と。ひるがえる旗は、ひるがえる度に、煽り立てているようではないか。

自分自身の中に起こっている変化を自覚しつつ、そこから目をそらさない。恐れもあるにちがいないが、恐れるくらいなら自分のふところに相手を抱き込んで笑ってしまおうというかのようだ。

 

再びを調べつつ書く楽しさを吾に給えな越えるべき日々

 

この歌は、2018年作。作者の願いはここにある。