久我 田鶴子


電柱の根元にタンポポ咲いていて 生命保険審査に落ちる

田宮 智美 『にず』 現代短歌社 2020年

 

電柱の根元にタンポポの花が咲いているのを見つけた。これだけを見れば、春を感じさせるほっこりした歌に思えるが、「咲いていて」の後、一拍おいて「生命保険審査に落ちる」と続く。

上の句と下の句のギャップの大きさ。幸せそうな風景は一転する。

生命保険審査に落ちたということは、それ程の問題を抱えている健康状態であるということだ。「咲いていて」の後のには、一瞬の口ごもりがあり、思い切ってその後の言葉を口にしたという感じがある。

 

「津波にも遭っていないし住む場所も家族もなくしていないんでしょう?」

異常無しと診断されるばかりなり震災より続く月経不順

三十歳さんじゅうで被災してより増えてゆく診察券だ角曲がりつつ

孵らない卵を購う 腫れを持つ甲状腺はちょうちょのかたち

 

作者は山形県生まれ。1999年より宮城県に在住。

三十歳のときに東日本大震災に遭遇した。だが、被災しながらも、津波に遭っていない、住む場所も家族もなくしていないということで、補償の対象にはならなかったようだ。

震災後、仕事を失ったり、人間関係もうまくいかなくなったりという中で、体調不良も続いている。

国の補償は、目に見えるところばかりを対象としているようだが、被災のかたちはさまざまである。人の身体や心にこそ深く及んでいる。生命保険審査に落ちたという、この作者の現実はかなり深刻だ。

震災から十年。「孵らない卵を購う」には、自らの妊娠・出産にかかわる思いが垣間見えるようだ。「腫れを持つ甲状腺はちょうちょのかたち」は、甲状腺のかたちの方に着地させているが、その甲状腺は腫れているのである。

ここで今一度、「電柱の根元にタンポポ咲いていて」に戻る。

タンポポが咲いていたところは、電柱の根元だった。発電所からの送電のために立てられた柱の根元。

上の句と下の句との関連性が稀薄であるように見えたものが、急に違って見えてくる。生命保険審査に落ちたことと原発事故との関連性があるということがほのめかされているのだとするならば、「咲いていて」の後の口ごもりの意味も明らかになってくる。

東日本大震災から十年という括りの中で、さまざまな報道がなされているが、その報道には載らないところで苦しみや悲しみを抱えながらも懸命に生きている人たちがいること。そのことを思わずにはいられない。