近江 瞬 『飛び散れ、水たち』 左右社 2020年
今、今、今、……。一瞬一瞬は留まることなく、たちまちにして過ぎ去ってゆく。その瞬間の連なりの中に生きている私たち。
揺れる水面が絶え間なく光をキラキラと生みだす。その無数の光の瞬きに目を奪われ、見つめてしまう私たち。
けれども、その「今という狭間に」「揺れる水面のひかりに」暗がりは隠れていると、一首は箴言のような響きをもって読者に呼びかけてくる。
作者は宮城県石巻市生まれ。東日本大震災の時は、東京の大学に在学中であった。大学卒業後、都内で2年間働いた後、石巻の新聞社に勤務。短歌には、古本コーナーで俵万智歌集『あれから』で出会ったという。震災当時、仙台市に住んでいた作者が、子どもを連れて石垣島に移住するまでを詠んだ一冊である。
塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々
「話を聞いて」と姪を失ったおばあさんに泣きつかれ聞く 記事にはならない
継続的支援が大事と書きながら続けば報道価値はなくなる
忘れたいと願ったはずのあの日々を知らない子どもを罪かのように
必要というのはせっかく復興庁の予算を充てられるからということ
新聞記者としての目が働いている歌だ。
「今という狭間に」「揺れる水面のひかりに」隠れている暗がりを見逃すまいと、歌の言葉はシビアになる。現実の表層をなぞるのではなく、奥に潜んでいるものに敏感であろうとする。
被災地を取材しながら、被災者に寄り添うだけでは記事にならない。記事にしたことがうまく反映されていくと報道価値はなくなるというジレンマも感じているようだ。それもまた、新聞記者にとっては「隠れている暗がり」となるのだろう。
近江瞬。本名だろうか。瞬を生きながら、その狭間に、目映いひかりの陰に潜むものに意識的であろうとする者の向かうところを見守りたい。
この一首は、歌集の巻末に置かれている。