久我 田鶴子


ひとすぢに朝光は入り布のうへの黒く熟れたるアボカドの照る

横山未来子 『とく来りませ』 砂子屋書房 2021年

※「朝光」に「あさかげ」とルビ。

 

静物画のような歌だ。

差し込む光の感じは、フェルメールか、ハンマースホイか。静謐にして禁欲的な光の印象。「ひとすぢに」という光の入りかたは、宗教的な啓示ででもあろうか。

朝の光が入り、アボカドが照る。差し込む光に対する、アボカドの感応。問いに対する答えのような。一首の中で主語が入れ替わり、全体として一つの世界を創り出す。

アボカドは布の上にあり、黒く熟れている。その形と色は、何かに似ている。

そうだ、手榴弾! 熟れているともなれば、いつ爆発してもおかしくない。そう思うと、急に不穏な空気がただよう。

熟れた果実が見せるギリギリの状態。次なる展開はどうなるのか。ここで食べられるのか、腐るのか。あるいは、身内に抱えた種を未来に向けて芽吹かせようとするのか。

朝の光は、なにかを促したのだろうか。アボカドは、何と応えたのだろう。

静かな世界のなかで、何事かが起こっている。密やかに光と交信しながら、アボカドは何を企んでいるのだろう。このままではいられない、やはり爆発してしまおうとでも? 大きな展開をもたらしてくれる何者かの手を待ちつづけようと?

光とアボカドとの絵のような光景は、思いのほか緊張感に満ちている。緊張感に満ちて、静まりかえっている。

 

をさなごの心をわれに呼ぶごとく冬のあしたの窓に手をあつ

唇にうすき硝子をはさみつつみづを飲みたり明けがたのみづを

稲光をふくみ明滅せる雲をとほく見てをり音のなきまま

 

これらの歌にも静けさが満ちている。そして、どことなく不穏なものを孕んでいるような、透明にして張り詰めた感じ。そこから、じっと耐えつつ何かを希求している作者の姿が立ち現れてくるようでもある。