永井 祐


泥のしみこんだ軍手を手にもって立っている次に見る夢にも

五島諭『緑の祠』

 

夢の中の話ですが、とてもありありとしている。
「泥のしみこんだ軍手」はとても鮮明な印象を残す。
でもその前後の文脈がわからなくて、軍手ははめていないし、「手にもって立っている」。
どんなときなのか、いつのことだか、実際の記憶なのかもよくわからないけれど、強い印象に残っている一瞬。そういう感じがします。

「次に見る夢にも」となっている。
これも不思議な言い分で、次に見る夢のことがはっきりわかるみたいに言っている。
この夢を何度も見るだろう、ではない。次にもやはり、軍手を手にもって立っているところの夢を見る。
全体が夢であることが結句に来てはじめてわかり、また、「立っている」の現在形の立つ場所が少し曖昧になっている。「~立っている」のは「この夢」で、全体が夢の中の言葉なのかもしれない。

夢、なんですけど、言ったように像の一点だけが非常に鮮明になっているのが特徴だし面白いところかなと思います。
そしてつるつるした夢ではなく、土の上の作業みたいなことの痕跡がある。
「手にもって立っている」もよくて、情報的には「持っている」と変わらないところを丁寧に言うことで、歌のトーンが伝わってくる。
はめてつかうものである軍手を手に持っている。何かをしているのではく、ただ立っている。
泥のしみこんだ軍手の像だけが鮮明に見えている。
そうは言わないけれど、何か切ないような感じがします。

迷宮の中にいるような実存感覚という感じがします。
作者と年齢が近かったりするのもあって、わたしは、あ、この感じと思うものがあります。
デビッド・リンチとか村上春樹とか、90年代後半~2000年ぐらいのあの感じ、というような。このへんはわたしの中でですけど。

下は同じく、像が鮮やかで印象的な歌。

 

昔見たすばらしい猫、草むらで古いグラブをなめていた猫

 

セロテープで補修したノートのことを覚えていなくてはならない、と