久我 田鶴子


渡さないですこしも心、木漏れ日が指の傷にみえて光った

平岡 直子 『みじかい髪も長い髪も炎』 本阿弥書店 2021年

 

「渡さないですこしも心」という表現がもたらす感じ。なんだろう、これは。

単純な倒置とも思えない、ちょっと捻れたような不安定感。妙に気になる。

求めても得られない心ならば、むしろ、このまま少しも渡さないでいてほしい、と言うのだろうか。少しでも渡されたら思い切りがつかないから、初めから少しも心なんか渡さないでほしいと?

そういうことを言っているにしても、そのまま言葉通りには受け止められないような感じが「渡さないですこしも心」にはある。本心は、言葉とは裏腹のところにあるような。

何も始まっていないようで、傷ついていないというわけではない。木漏れ日が指の傷に見えたりしているのだから。

他者との関係における微妙な心理。一つに絞りきれない感情が、「渡さないですこしも心」のちょっと捻れたような不安定感に現れているようだ。

この状態は切ないけれど、そう悪くもない。満たされない状態を、しばらくはそのまま楽しみたいような気もしてくる。そういう余裕も、この歌にはあるように思う。

 

あまりにも夏、とても夜、一匹の黄金虫が洗濯を見ていた

 

これはまたデタラメっぽい始まりの歌だ。

「あまりにも夏、とても夜、」とは、初めからトップスピードで飛ばしているようではないか。で、その続きが「一匹の黄金虫が洗濯を見ていた」。これでは動きは止まっている。動いているのは、洗濯機のなかの渦くらいだ。

飛ばしていると思ったのは、どこへも向かいようのない孤独の深まりであったか。

夏の夜、洗濯をしている傍らには一匹の黄金虫だけ。それを孤独などとは言わない。ただそこに生きている者がいるだけ。そして、黄金虫が見ていたのは、「洗濯をする人」でも「洗濯機」でもなく、「洗濯」という行為そのものであった。

 

洗顔のうしろで夏は明けてゆきわたしのさみしさに手を触れなさい