永井 祐


女生徒ら語らひ行くに包帯の小指の一人遅れつつ行く

小池光『廃駅』

 

繊細な感じの歌だなと思います。
「遅れつつ」は別にはぶられるとかではないのかもしれない。しかしちょっとした気後れや元気のなさはあるのかもしれない。
小指の包帯は、きっとシリアスなことではないけれど、包帯は包帯として目立つ。傷であることはたしかで、群れから遅れていることの印のようにも見えるかもしれない。

「語らひ行くに」の「に」。これは文語の接続助詞で、意味として、
逆説の確定条件「~のに、~けれども」、順接の確定条件「~ので、~ために」、単純接続「~と、~ところ」(ほかに添加の意味の場合もある)。
だから、わりと曖昧なんですね。文脈によって逆接にも順接にも単純接続にもなる。
この歌の場合、逆接の意味がメインにも見えますが、(女生徒たちはおしゃべりしながら歩いているのに~など)、そうとも取り切れない。順接はないかと思いますが、単純接続(おしゃべりしながら歩いていて~など)の要素はあるように思う。
純粋な逆接の確定条件には見えない気がして、ここのところも大事な気がします。
つまり、先ほどは「かもしれない」を連発しながら解釈しましたが、ここを純粋な逆接と取ると、遅れている一人がかわいそうな感じになりすぎてしまう。

そして「包帯の小指の一人」。これも、たとえば「包帯の小指の少女」などになれば行き過ぎで、あくまで「そのうちの一人」として距離を持った言い方をしている。

かように、この歌「女生徒」「包帯」「小指」「一人」とか、語彙的には一つの詩的な方向にぐんぐん行きそうでありつつ、対象との距離を大切に保って安易な共感や決めつけにならないものになっている。読み取っていくと「~かもしれない」を連発するしかない。その上でちょっとした心の動きも感じられる。そのへんの繊細さが素敵な気がします。

これは「前橋の印象」という3首だけの連作(?)の真ん中の歌。
前後もよいので引いておきます。

 

ひつそりと生馬のやうな夕闇がゐたりポストのうしろ覗けば

 

夕闇の夕波よせてつぎつぎにあぢさゐしづむ海の校庭

 

一首目は「いきうま」と読むのかな。この語がすごく効いている。二首目の「つぎつぎに」も印象深いです。