久我 田鶴子


地名に人の歴史はあかく血飛沫くを愚政の果てに消えゆきにけり

福島 泰樹 『亡友』 角川書店 2019年

 

地名は、そこに暮らしている人の歴史と深く関わっているのにもかかわらず、政治の都合で次々と消えていった。

仕事の効率が最優先で、地名が負っている歴史的背景など、政治の世界ではどうでもいいことのようだ。

「人の歴史はあかく血飛沫くを」と言うところが、いかにもこの作者らしい。

「血飛沫く」は「ちしぶく」と読む。そこに血の通った人間が住み、泣いたり笑ったり、時には血を見るような喧嘩沙汰もあったりと、それだけ土地と人との繋がりは深く、地名にも血が通っているんだと言いたいのだろう。

結句の「消えゆきにけり」に見る深い嘆き。「にけり」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+過去(詠嘆)の助動詞「けり」の終止形。消えていってしまった! そこには絶叫に近いものがある。

 

東京市下谷區下谷一丁目「東京市民」としてわれ生まれ来し

 

おそらくは、これが作者の地名に関する原点だ。「昭和十八年三月、私はガード沿いの病院で生まれた」という詞書がある。「東京市」が存在したのは、明治二十二年から昭和十八年まで。作者は、ぎりぎり東京市に生まれたことになる。「東京市民」と言うときの、少し誇らしげな感じが何とも言えない。やがて台東区に組み込まれていった下谷区は、昭和二十二年まで存在していた。

 

消えて行ったはあれは菖蒲か浅草の 月光町とうひびきかなしも

小沢昭一に似た悪漢が現れて浅草象潟町の夕暮

松葉町山伏町や町名を戻せ歴史の記憶を糺せ

万年町の悪童どもの顔も消えほどなく閉ざす記憶の窓か

 

作者にとって馴染みの町名は消えてゆき、記憶の中だけのものになってしまった。そして、その記憶の窓もほどなく閉ざされると詠う。

地名と言えば、何のために歌を作るのかという問いかけに、「鎮魂のため、季節のため、それから面白い言葉や地名の一つにもせめて出会いたいためだ」と答えたのは小中英之だった。

その小中英之のことも、平成という時代を振り返りつつ詠っている。

 

「ヤスキー」と呼ぶは英之、見上げれば羊雲、君と茂樹なるらむ

 

詞書には「八月、小中英之死去。押しかけ兄貴小中は、私を呼び捨てた  二〇〇一(平成十三)年」。茂樹と出てくるのは、小野茂樹。羊雲は、小野の歌集『羊雲離散』から来ている。三十三歳で事故死した小野茂樹と、この世の最後の時間をともに過ごしたのが小中英之であった。