永井 祐


河合塾が入居しているビルのうち下半分が河合塾の夜

鈴木ちはね『予言』

 

 

ビルの下半分は河合塾が入っている。
夜が訪れている。
みもふたもないですが、歌はそういう意味かと思います。
それを、AIの作文とか自動翻訳みたいな、どこか一つ壊れたようなトートロジー的な文で言っている。
それによって認識とか言葉とか人間とかが解体されるような感触があります。
歌のメインになるのはここかと思います。

でも眺めるほど細部がいいなと思う。

「河合塾」というモチーフが絶妙な気がします。

河合塾は都心にもあるし、地方都市にもあるし、かなり様々な駅に校舎を持っている。
この歌の場合、不思議と、少しさびしさの漂う駅前が浮かびます。少なくとも新宿ではなさそうな。夜にそれほど活気が感じられない気がして。
わたしは予備校のことにくわしくはないし、場所を知っている河合塾もないのですが、
なぜかそういう、まわりの雰囲気が伝わってくる気がします。
「下半分」だからそんなに大きな校舎じゃないのかなとかもありますが。

これが「駿台予備校」とか「代々木ゼミ」では駄目なのかというと、やはり駄目な気がします。「河合塾」がいい。イメージカラーの黒が関係しているのかもしれない。

こういう、単語レベルのことが効く効かないって不思議な気がします。わたしはこの「河合塾」は絶妙などと言っていますが、それは偶然的な記憶によるだけかもしれないし、多分に文脈依存的なものにも思えます。でもいいと言える気がする。
こんな歌も思い出す。「新堀ギター」絶妙。

 

昼飯を街のはずれに探しつつ新堀ギターの看板ひとつ 内山晶太

 

そして結句の「河合塾の夜」。

最初に言ったように、知的と言えるような企みのある歌だと思うのですが、ここだけ感触が少し違う。最後にちょっとだけ出てくる叙情性が全体を包んでいて歌を決定している気がします。さっき言ったまわりの雰囲気とかもたぶんここから出てくる。

ビルの下半分に入った「河合塾」に少しの叙情が託されるのがいいなと思うのです。

ちなみに「河合塾の夜」は連作のタイトルでもある。

好きなフレーズです。